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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/04/14
民俗学者で社会教育家の宮本常一さんは「昔の村の姿がどのようなものであったか、村の伝承がどのような形で、どんな時に必要であったか、昔のしきたりを語り合うことがどういう意味をもっていたか」など“民の見方・考え方”を多くの人に知ってもらうために「忘れられた日本人」(岩波文庫)「山に生きる人びと」(河出文庫)「生きていく民俗~生業の推移」(河出文庫)「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)はじめ民俗に関する著作を数多く残しています。
数ある著作の中で、宮本さんは長崎県対馬で見聞した「寄り合い民主主義」について一文を残しています。伊奈の区長の家を訪れた彼は、区長の父親から「区有文書」があることを知らされます。次の朝、文書の借用を願い出た宮本さんに対し、村の寄り合いを中座して戻った区長は「文書の借用については寄り合いにかけなければならない」と言い残し家を後にします。日も高くなり3時を過ぎても戻ってこない区長に痺れを切らした宮本さんは、自ら“寄り合い”が開かれている神社に足を運びました。
寄り合いでは板の間に20人ほどの役員はじめ多くの村人たちが「区有文書の貸出」やその他さまざまな議題について、侃々諤々の議論を行っているところでした。訪れてから1時間ほど経ったところで区長が出席者のすべてから同意を取り付け、漸く文書の貸出が認められました。
その間の事情を宮本さんは「村でとりきめをおこなう場合には、みんなが納得のいくまで何日でもはなしあう。まずはじめに一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域グループでいろいろ話しあったのち区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねば、また自分のグループへもどってはなしあう。みんなが納得のいくまで話し合い、結論がでると守らなければならない。『理屈をいうのではない、一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである』。そしてこのような共同体では、たとえ話や体験したことにこと寄せて話すほうが話しやすかったのである。近世の寄り合いでは郷士も百姓も村落共同体の一員として互角の発言権をもっていたと考えられるのだ。村の伝承に支えられながら村の自治が成り立っていた。すべての人が体験や見聞を語り、発言する機会をもつことは、村里生活を秩序だて、結束を固くするのには役立った」と説明しています。
翻って、2023年3月に公示、4月開票された統一地方選は前半行われた道府県知事選の投票率46.78%、道府県議選の投票率は知事選より低い41.85%という低い結果となっており、地域住民の50%以上の民意は無視された形になっています。
4年に一度行われる統一地方選を過去に遡って見ると1975年に行われた統一地方選では知事選、道府県議員選の全てで、投票率が70%を超えていました。ただ、その後は回を追うごとに投票率は低下、2019年には何れの選挙の投票率も40%台に落ち込むなど目を覆いたくなるばかりです。
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