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    アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/05/01
    エッセイ「思索の散歩道」
    易経が教える真のリーダーとは
     太平洋戦争後、米国の“核の傘”に守られ、平和を享受してきた日本。世界で起きている戦争や民族間、宗教間の対立や紛争など激動する世界の移り変わりに適切な対応ができず右顧左眄。右往左往するだけのわが国の指導者を真のリーダー“とはとても呼ぶことができないのではないでしょう。
     理想の指導者像の資質や条件を考えた時、“これこそ”と合点できる記述を易経・乾為天の「龍の話」の中に見つけました。人気俳優の江守徹さんが朗読し、易経研究の第一人者として著名な竹村亜希子さんが解説する「オーディオブック」の作成を手掛けたことがきっかけになりました。易経に関しては「占いの書」という印象が強いのですが、冒頭にある「龍の話」こそ易経の真骨頂と言えるでしょう。「龍とは天を翔け、雲を呼び地上に慈雨をもたらす」とされる想像上の生き物ですが、古代中国では龍を君子に喩え崇めていました。
     龍の成長話は、「潜龍」から始まり「見龍」「君子終日乾乾」「躍龍」「飛龍」「亢龍」の6話でまとめられています。(以下、竹村先生の解説をベースに一部削除・付記)
     第1段階は「まずは志ありき」になります。潜龍とは地の奥深くに潜み隠れている龍のこと。まだ実力もなく、世の中に認められない段階です。「潜龍用いるなかれ。」とあり、焦って世に出てはなりません。何故なら力を蓄え、将来の大きな展望を描き、高い志を打ち立てる時期だからです。「確乎としてそれ抜くべからざるは潜龍なり」。どんな立場になろうとも、決して抜き動かされない高い志を持つこと。これがリーダーの条件となります。「確乎不抜」という言葉の出典です。
     第2段階は「見龍田に在り。大人を見るに利ろし」。龍は“大人”に素質を見出され水田に現れます。見龍とは、大人の行動を見習う龍のこと。見龍の「見」には「聞く」とか「従う」という意味があり、教えられたことを「見様見真似」でその通りにできるようになるまで徹底的に学びます。ここで言う「大人」とは、自分の中にある邪心を認め、邪心を防ぎ常に誠心を表わす人を指します。見龍は大人の基本や原理原則に従った行動を繰り返し真似て行きます。
     春に田植えを、夏には草刈りをして、秋に収穫、冬には田を休ませ滋養する。時の流れに従って、その時々に為すべきことを当たり前として行う。順序を違えたり、道理を外さない、
     人としての基本的姿勢を身につけていることが、リーダーとしての第2の条件となります。
     続いて第3段階。龍すなわち君子を指し「君子終日乾乾す」という段階です。
     「君子終日乾乾す。夕べに 若たり、けれども咎なし」。「乾乾す」とは、充実して毎日毎日同じことを繰り返すということ。見龍の段階では、見様見真似で教えられた通りに繰り返しますが、この段階では自分の意思と創意をもって更に反復し基本から応用を身につけます。
     「あの時の行動はよかったのか」と反省することで「明日はこうしてみよう」という創意が生まれます。同じことを繰り返す中で“螺旋階段を描く”ように成長して行きます。それだけではありません。この意識と実践の反復が、時々の本流を見極め危機の兆しを知る素養となります。「君子は徳に進み業を修む」。「徳」とは善き人格や行いの要件を指しますが、日々の努力と反省を怠らず、質の向上を目指し習慣化して身につけていくこと。リーダーに求められる3つ目の条件です。
     第4段階は、「或いは躍りて淵にあり、咎なし」です。今まさに空に飛翔しようと跳躍を試みる。「飛龍」になるためには、実力、技術やオリジナリティに加え、時を見極め、”機”すなわち兆しを察知する力が必要となります。例えばスポーツの世界でも、オリンピックで金メダルを獲得できるだけの実力があったとしても、時宜を捉えなくて夢は現実となりません。「淵」とは、潜龍が潜んでいた水底のことを指します。龍として成長する支柱になるのは潜龍の時に打ち立てた高い志です。加えて見龍の時期に学んだ物事の基本と「君子終日乾乾す」段階で身につけた創意工夫とその応用こそが飛翔の原動力にほかなりません。
     「君子徳に進み業を修むるは、時に及ばんと欲するなり」とあるように、すでに業を修め、経験と実力を備えて、あとは時に及ぼうと試みるだけ。いかなる分野においてもその頂点に立つためには「時が満ちるのを察し得る能力」が求められます。この能力こそリーダーに求められる第4の条件となります。
     「飛龍天に在り」。リーダーとして社会に貢献することが第5段階にあたります。事業に即して言うなら「守成期」を意味します。「飛龍天に在り。大人を見るに利ろし」となっています。飛龍の段階は、自分が思っている以上に物事が成熟して行きます。実力と地位を得てリーダーとしての能力を存分に発揮する時にあたります。「飛龍の意思」に同調、共鳴する人が集まってきます。飛龍にとって人材は“雨を降らす雲”にあたります。“水の物”と言われる龍にとて雲はなくてはならない“付き物”であり不可欠の要素です。
     「亢龍悔いあり」。実力も能力もある飛龍がなぜ亢龍(降り龍)になってしまうのでしょうか。亢龍とは高ぶる龍のことで、雲を突き抜けて空の高みに昇ってしまった龍のことを意味します。雲は「高み」に昇ってしまった龍に追付くことができません。結果として、雲が雨を降らすことができなくなってしまいます。
     「亢龍悔い在り」の真意は「亢龍になってしまったら、リーダーの座を退くほかない」ということでしょう。「後悔先に立たず」。ここでの教えは「聞く耳を持つ度量」、つまり人の意見に耳を傾けることが如何に大事かということです。
     飛龍にとって“大人”とは、周りの総ての人や物事を指します。リーダーは同じ目的を持つ人々がいてこそ卓越した働きが可能になります。情況が自分の意のままに進んで行くことになれば、如何に優れたリーダーでも必ず驕りが芽生えてきます。行動力と才気に溢れるリーダーは、「自分は絶対」という錯覚にとらわれてしまいます。驕りによって洞察力と直観力に陰がさし、常軌を逸してしまうのが通例です。
     リーダーには周りの人、部下や友人の意見に耳を傾ける度量と自分の驕りを認めて軌道修正できる謙虚さを合わせ持つことが不可欠です。特に行動力と才気に溢れるリーダーは「自分こそ絶対」という驕りと昂りによって洞察力と直観力に陰がさし軌道を外してしまうケースが少なからず見受けられます。繰り返しになりますが「周りの人、部下や友人」の意見に耳を傾ける度量と自分の驕りを認め軌道修正できる謙虚さを持つことが大切です。
     古代中国王朝の歴代天子は、庶民にはおよびもつかない「天の導き」により、その正当性を維持し続けることができたといいます。翻って今日の中国共産党政権は、正当性をめぐって民衆が離反しないよう“途轍も無い”エネルギーを費やしています。つまるところ、論語が言う「由らしむべし、知らしむべからず」。情報を可能な限り制限し政権維持に汲々としているというのが実状だと思います。
     第2次世界大戦終了後、世界の惨状を目の当たりにした英国のチャーチル首相は「人類が歴史に学んだことは歴史から何も学ばなかったことだ」と喝破していますが、当に至言でしょう。



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