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    アーカイブ 主席研究員・櫻井 元 書評 2023/10/18
    聖書の「迷宮」照らす言葉の力
      ゼバスティアン・フランク著/福原 嘉一郎 訳『パラドクサ(PARADOXA)』
     国内で出版されているドイツ史や宗教改革の概説書には、ほとんど登場しないゼバスティアン・フランク(Sebastian Franck:1499-1542)。「人文主義者(フマニスト)」「自由思想家」「急進改革派」などと称され、独語版ウィキペディアでは「著述・翻訳家」、「出版業」といった肩書も加わる。宗教改革を推し進めたマルティン・ルター(Martin Luther:1483-1546)を激しく批判したことでも知られ、「唯心論(霊性主義)の思想家」ともいわれる。
     このフランクの主著『パラドクサ(PARADOXA:1534年)』を福原嘉一郎・元早稲田大学政治経済学部教授(1928-2021)がまず現代語へ、さらに擬古文へと訳された。ご家族によると、福原氏は早大を退職後、フランクとの「対話」を楽しむかのように最晩年まで訳稿に手を入れておられたという。その遺作である初の日本語全訳に、安酸敏眞・北海学園理事長が詳しい解説をつけ、教文館から5月に出版された。
     フランクは序文で、「福音は無限に純なる不可思議弁辞(パラドクサ)也」と述べる一方、「異端、分派は聖書の文字に発せり」とも指摘した。続く本文では、聖書にひそむ矛盾の感覚や謎めいた言葉を(1)「神の何たるかは誰も知らず」から(280)「光、霊、生なる言は人の褒貶を受けず」まで、280項目(うち欠落が3項目、実質的な重複もある)の命題に分類。聖書の引用はもとより、プラトン、ソクラテス、ピタゴラスのほか、人文主義の先達デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus:1456-1536)らの言葉を使ったり、時に下品な表現を持ち出したりしながら、「不可思議」を解き明かそうとする。しかし、末尾では改めて「聖書の中には未だ多くの不可思議弁辞あり」と打ち明け、それでも「聖書と諸々の書」を読み、神の言葉に虚心に耳を傾けてほしい、と呼びかけている。
     フランクの「謎解き」を、読み解くのは容易ではない。たとえば「神の存在」について、さまざまな文脈の中で、フランクの語り口は、次のように表現されている。
     「神につきては如何なる定義も断然存在せず」
     「神は総てにおける総てなり」
     「神のみが万物の本性中の本性、総ての存在中の存在なり」
     「基督(キリスト)は真の実体的なる神にして人間なり」
     「扨(さて)基督は、神の似姿と謂われ、神の本性、神の名残、神の顕現と呼ばる」
     「抑々(そもそも)人間は神の姿に似せて創られ、基督の中に形成せられたり」
     「定義は存在しない」と前置きしながら、「三位一体論」の枠内で、神をどう位置づければよいのか、フランクは思索の跡を隠さない。
     フランクは、インゴルシュタット大学で、ラテン語教典のほかヘブライ語・ギリシア語の古典を学び、人文主義の精神を身につけた。続いて、ハイデルベルク大学に併設されていたドミニコ修道会の施設で、神学研究に取り組んだ。1518年7月、ルターの「ハイデルベルク討論」には、証拠はないものの、フランクも参加した可能性があるといわれる。その後、カトリック教会の助祭などとして働いた時期もあったが、次第にルター批判を強め、学友たちとも離反。聖職者の道を投げ捨て、著述家としてニュルンベルクへ移った。そこで結婚したオティリエ・ベハイムは、画家アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer:1471-1528)の弟子の妹とされる。
     フランクはさらに、宗教(改革)批判の自由を求めて、シュトラスブルク、ウルムなどを転々、バーゼルで43年の生涯を閉じる。
     政教の権力者からの迫害もあって、聖職者、著述家としての生活は苦しかったようで、ニュルンベルクの公文書館には、フランクが代官に宛てて「収入が少ないので税金を減免してほしい」と訴える陳情書が残されている。
     訳者の福原氏は1970年代の半ば、デューラーの「自画像」(1500年)がアルテ・ピナコテークに展示されているミュンヘンに1年弱滞在され、90年代半ばには、半年ほどかけてハイデルベルク、ニュルンベルク、バーゼル……と、フランクの足跡をたどるように旅をされたそうだ。
     『パラドクサ』の原典は、ドイツ語の古語の一種にあたる「初期新高ドイツ語」で書かれている。そして、訳者は『独和大辞典』(小学館)の執筆・校正協力者をつとめた。言葉へのこだわりがあったのではないか、と想像する。 
     フランクが生まれた年、日本では、蓮如が死去。フランクの没年には、徳川家康(幼名・松平竹千代)が生まれている。時代の空気をまとわせる訳語としては、現代語よりも擬古文の方がふさわしい。そう判断されたのかも知れない。
     聖書という「宗教哲学の迷宮」を探訪するには、『パラドクサ』から読み取れるフランクの言葉がヒントになるだろう。人文主義を研究し続けた教育者らしく、訳者はその道しるべを遺された。
    (ゼバスティアン・フランク著、福原 嘉一郎・訳、安酸 敏眞・解説『パラドクサ』、
    教文館、2023年5月、本体3,600円)



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