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    アーカイブ PRESIDENT Online 2023/03/25 水野 泰志
    なぜ「捏造」と主張したのか…立憲議員が暴露した「総務省文書」に対し、高市早苗氏が判断を間違えたワケ
    総務官僚は「変なヤクザに絡まれたって話」と訴えたが…
    なぜテレビは政治報道に気を遣うようになったのか
     放送法が定める「政治的公平」をめぐり、安倍晋三政権下で首相官邸が放送局の報道を萎縮させるような「新解釈」を導き出した「行政文書」が明るみ出て、永田町や霞が関、メディア界が揺れに揺れている。
     国会での論戦に加えて、メディアや多くの有識者がさまざまな視点から多様な論争を展開。当該文書の真贋論争に高市早苗総務相(当時)の「捏造」発言、新解釈がもたらした放送界への影響、情報流出の国家公務員法違反騒動、はては自民党内の思惑絡みの綱引きや、総務省内の旧自治官僚と旧郵政官僚の因縁のバトル説まで飛び出し、岸田文雄政権は火消しに追われている。
     論点はたくさんあるが、この「事件」が抱える本質的な問題は、一介の首相補佐官が安倍首相にゴマをすろうとした浅慮で「報道の自由」を侵しかねない事態をいともたやすく既成事実化してしまったことにある。
    「サンデーモーニング」に募らせた不快感
     「事件」が明るみになったのは3月2日。立憲民主党の小西洋之参院議員が、放送法の政治的公平をめぐり、2014年から15年にかけて、磯崎陽輔首相補佐官(当時)の主導で高市総務相が国会で新解釈を答弁するに至った総務省の内部文書を暴露したことに始まる。
     当該文書は78ページに及ぶ。文章によると、政府・与党に批判的なTBSの番組「サンデーモーニング」について、磯崎氏が「コメンテーター全員が同じ主張の番組は偏っているのではないか」という問題意識を持ち、総務省に執拗に政治的公平の解釈変更を迫った。
     さらに安倍首相が「現在の放送番組にはおかしいものもあり、現状は正すべきだ」と指示、高市総務相が政治的公平の判断基準を「放送事業者の番組全体」から「一つの番組」に変える新たな解釈を国会で披歴するまでの赤裸々な流れが克明に記されている。
     「事件」のキープレーヤーとなった総務省出身(元自治官僚)の磯崎氏は、清和会(現安倍派)に所属する参院議員(当時)。首相補佐官としての担務は国家安全保障と選挙制度で、放送行政は所掌ではなく、縁もゆかりもない。にもかかわらず、放送法の政治的公平をめぐって総務省に口を出したところに「事件」の異常性がうかがえる。
    首相補佐官が「俺と総理の二人で決める話」と恫喝
     安倍政権は常々、政権に批判的な民放の報道番組に不快感を募らせていた。衆院選を控えた14年11月には、安倍首相がTBSの街頭インタビューが偏っていると批判。自民党は在京キー局に「報道の公正中立、公正の確保」を求める「お願い」を送り、番組に注文をつけた。
     今回明らかになった内部文書に記されている磯崎氏と総務省のやりとりは、そうした時期に重なる。
     磯崎氏は、総務省の安藤友裕情報流通行政局長ら担当者を何度も呼び出し、「この件は俺と(安倍)総理が二人で決める話」と断じ、「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」と恫喝し、解釈変更を迫った。
     首相官邸の権力を振りかざして畑違いの放送行政に口を出したわけだが、そこには、ボスの安倍首相の胸の内を忖度して点数を稼ごうとした下心が透けて見える。
    総務官僚は放送法の解釈変更に抵抗したようだが…
     政治的公平の新解釈が示されてから8年も経った時点で当時の経緯を記した文書が公になった背景には、安倍晋三首相が暗殺され、磯崎氏は落選し、当時の総務省の幹部職員も退官、さまざまな意味で重しが外れたというタイミングがあるだろう。
     総務省出身で放送行政に携わった経験をもつ旧郵政官僚の小西議員は、「総務省の職員から提供を受けた」と文書の入手ルートを明らかにした。
     当の文書は、当時の桜井俊総務審議官、福岡徹官房長ら省幹部をはじめ、原課の放送政策課などで広く共有されており、多くの総務官僚が目にすることができた。しかも、「行政文書」として残されているため、総務省OBの小西氏の手元に、どこから流れても不思議はない。
     内部文書をつぶさにみると、解釈変更の影響を懸念した総務官僚は少なくなく、磯崎氏の横暴に必死に抵抗した跡がみてとれる。
    磯崎氏の説明に前向きな反応を示した安倍首相
     中でも、総務省出身で女性初の首相秘書官(メディア担当)となった山田真貴子氏の対応は当を得ていた。
     後輩の安藤局長から報告を受けると、即座に「放送法の根幹に関わる話」と指摘し、「政府がこんなことをしてどうするつもりなのか。どこのメディアも萎縮する、言論弾圧ではないか」と影響の大きさを危惧した。
     さらに、「民放を攻める形になっているが、結果的に官邸に『ブーメラン』として返ってくる」と冷静に判断、政治的公平の解釈変更はマイナス面が大きいとの認識を示した。
     そのうえで、磯崎氏について「官邸内で影響力はない。総務省として、ここまで丁寧にお付き合いする必要があるのか」と疑問を投げかけ、「今回の話は、変なヤクザに絡まれたって話」と切って捨てた。
     そして、磯崎氏の説明に前向きな反応を示した安倍首相に、「メディアとの関係で、官邸にプラスになる話ではない」と、解釈変更を思いとどまるよう直訴したのである。
     最終的には押し切られた総務省だが、そこには、安倍政権の放送局への強圧的な姿勢に対し、放送の自主・自律を守ろうとする総務官僚(旧郵政官僚)の良識が働いたようにみえる。
    政治的公平の判断は「番組全体」から「個々の番組」へ
     あらためて、内部文書にしたがって、放送法の政治的公平の解釈変更の経緯を振り返ってみる。
     政府は一貫して、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体をみて判断する」との見解を示してきた。個別の番組について客観的な評価を下すことは難しいと考えられてきたためだ。
     ところが2015年5月、高市総務相が国会で「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と、個々の番組が政治的公平の判断対象になりうるという新たな解釈を示した。
     ただ、あまりに唐突な答弁で、自民党議員の質問にさりげなく応じる形だったこともあり、大きく報じられることはなかった。
     問題が表面化したのは16年2月。高市総務相が国会で「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、何の対応もしないわけにいかない」と停波命令を出す可能性に言及し、あらためて政治的公平の新解釈を示したころだ。
     ほどなく、政府は、「従来からの解釈については、何ら変更はない」としつつ、「一つ一つの番組を見て、全体を判断することは当然」と、さらに踏み込んだ統一見解を出した。
     政府の見解を変更する場合に必須とされる内閣法制局と調整した様子はなく、事実上、磯崎氏、安倍首相、高市総務相の間で、報道の自由の琴線に触れるような解釈変更を決めてしまったようだ。
    民放連幹部「ピースが埋まり、パズルが解けた」
     「停波答弁」と「政府統一見解」を受けて、コトの重大性に気づいたメディアが一斉に報道、にわかに「政治的公平の解釈」が俎上(そじょう)に上った。
     新解釈に対し、放送局や新聞社はもとより日本弁護士連合会(日弁連)などから「従来の見解と明らかに矛盾する」「言論の自由への介入だ」「放送事業者の萎縮を招く」との批判が噴出した。個別の番組に対する事実上の検閲や言論弾圧に道を開き、民主主義の基本理念を脅かしかねないと懸念されたのである。
     当時、なぜ突然、新解釈が示されたのか、経緯がわからなかったが、今回の文書で首相官邸の意向に沿ったものであることが明らかになった。
     日本民間放送連盟(民放連)の幹部は「これでピースが埋まり、パズルが解けた」と驚き、放送法の理念の根幹にかかわる解釈変更が一首相補佐官の強要で実現してしまった実態に強い懸念を示した。
     内部文書を暴露した小西氏は「個別番組を狙い撃ちする政治的な目的で放送法の解釈を変えた。一部の権力者によって都合のいい解釈に放送法が私物化されている」と追及しているのに対し、松本総務相は「礒崎補佐官から総務省に問い合わせがあり、従来の解釈を補充的に説明した。放送行政に変更があったとは認識していない」と強調。岸田首相も「放送法についての政府の解釈は変わっていない」と事態の鎮静化に努めている。
     だが、放送の現場からは「政治報道は気を遣うようになった」と息苦しさを伝える声が聞こえてくる。
    行政文書を「まったくの捏造」と言い張る高市元総務相
     この「事件」の核心とはまったく別の次元で世間の注目を集め、醜態をさらし続けたのが、当時の総務相として表舞台で主役を演じた高市経済安全保障担当相だ。
     内部文書が露見するやいなや、国会答弁や記者会見で「まったくの捏造」と言い放ち、捏造でなければ大臣も議員も辞職すると大見えを切ってしまったのである。
     磯崎氏が早々に自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め、松本剛明総務相が「行政文書」と認定して公表し、小笠原陽一情報流通行政局長が「高市氏へのレクチャーはあった可能性が高い」と明らかにしても、「捏造」と言い張った。
     本来、外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない以上、もはや「捏造」と受け止める人はいないだろう。
     高市氏は「ありもしないことをあったかのようにいうのは捏造だ」と連発したが、「あったことをなかったというのはウソつき」ということばを知っているだろうか。
     政府が認めた公文書を「捏造」というからには、立証する責任は高市氏自身にある。
    内部文書が「捏造」であってもなくても辞職に値する
     ひるがえって、もし、仮に「捏造」だとすれば、大臣在任中に、省内に捏造文書が流布していたことになり、監督責任は免れない。そのうえ、当時の部下たちへの不信感をあらわにしているのだから、何をかいわんや、である。
     しかも、高市氏は、自らの判断で新解釈を答弁したと明言した。報道の自由にかかわる重大な解釈変更を、独断で行ったとなれば、一大臣の分を超えた由々しき事態といえる。だが、実際には、半年余にわたって事務方ですり合わせが行われ、安倍首相の指示を受けて答弁に至った経緯を、内部文書が記している。
     いずれにしても、大臣としての職責をまっとうしたとは言えず、欠格大臣であることを自ら吐露してしまった。天に唾するとは、まさにこのことだろう。
     もはや、内部文書が捏造でなくても、捏造であっても、高市氏は辞職に価する。
     気の利いた国会議員ならば、「記憶にございません」とはぐらかしたところだろうが、何を血迷ったのか「捏造」と口走ってしまい、自らを窮地に追い込んでしまった。高市氏の心中は測りかねるが、格下の首相補佐官の画策で自らが役者を演じなければならなくなったことが不快で、あえて解釈変更の主導権は自分にあると言いたかったのかもしれない。
     旗色が悪くなるにつれ、当初の勢いもトーンダウン。敵に回した総務官僚はもとより、政府や自民党内からも冷ややかな視線が投げかけられている。
     高市氏の立ち居振る舞いは「見苦しい」の一言に尽きる。政治家としてのレベルの低さを自ら知らしめてしまった。
     もっとも、報道の自由にかかわる「事件」を広く世に知らしめたことは、大きな功績といっていいかもしれない。
    メディアの報道にはくっきりと濃淡があらわれた
     それにしても気になるのは、今回の「事件」に対するメディアの報道ぶりにくっきりと濃淡が表れたことだ。
     朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は、文書が表面化した直後から大々的に紙面を割いて詳報し、社説も繰り返し掲載、ネットでも大きく展開して、「事件」の経緯や問題点を厳しく指摘し、糾弾した。もともと安倍政権には批判的だっただけに、力の入れようが伝わってくる。
     NHKも、異例と言えるほど連日、定時ニュースで報道。標的となった民放各局も、ここぞとばかりに多角的で多様な報道を展開した。
     一方、発行部数トップの読売新聞は、控えめな報道に終始し、何が起きているのか、読者に正確に伝えようという意図が感じられなかった。日本経済新聞も同様だった。
     読売新聞が安倍政権の「応援団」であったことは広く知られているが、放送法の新解釈は報道の自由に関わる問題だけに、ジャーナリズムの担い手としてのあり方が問われよう。
     放送法の目的は、放送の自主・自律を保障することによって、表現の自由を確保することにある。政治圧力によって、放送が萎縮させられるようなことがあってはならない。にもかかわらず、一首相補佐官の身勝手な思い入れが新解釈をもたらしたところに、この「事件」の特異性がある。
     政治的公平をめぐる新解釈は、政府の見解として今なお有効だ。国民の「知る権利」にも関わる重大な問題と受け止めなければならない。



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