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    アーカイブ PRESIDENT Online 2023/05/21 水野 泰志
    この20年で6割減、1168万部の夕刊が消滅…「昨日のニュース」しか載っていない新聞はいつ完全消滅するのか
    「紙の新聞」にこだわっているのは新聞社だけ
    日本人の「新聞離れ」が止まらない
     「夕刊がなくなる日」が現実味を帯びてきた。
     東海エリアで今春、毎日新聞に続いて朝日新聞が夕刊の発行を取り止めた。朝刊と夕刊をセットで購読する読者が激減しているところに、新聞用紙代の大幅値上げが引き金になったようで、コスト削減のため、やむにやまれず夕刊を廃止することになったとみられる。
     すでに多くの地方紙が夕刊の発行を取り止めているが、全国紙が三大都市圏の一角で夕刊を休刊せざるをえなくなった窮状は、あらためて新聞の衰退を痛感させられる。夕刊廃止の大波は、遠からず東京エリアや大阪エリアにも波及し、全国から夕刊が消えてなくなる日が来ることは避けられそうにない。
    毎日に続いて、朝日も東海エリアで夕刊が休刊に
     愛知・岐阜・三重3県を発行エリアとする毎日新聞中部本社は、3月31日付けを最後に、第2次世界大戦による7年半の中断をはさみながら約80年にわたって発行してきた夕刊を休刊した。1935年11月25日付けの第1号には「名古屋で最初に印刷した夕刊!」の文字が躍る歴史のある夕刊だった。
     社告では「読者のライフスタイルの変化に対応するため、朝刊に特化した紙面をお届けすることにした」と説明、これまで以上に「行政の動き、事件・事故、まちの話題を深掘りする」と強調した。購読料は、朝夕刊セットで月額4300円(税込み、以下同)だったが、朝刊のみになるため3400円に大幅値下げした(6月からは4000円に値上げ)。
     朝日新聞名古屋本社も、5月1日から夕刊を休刊する社告を4月5日に掲載した。購読料は、朝夕刊セットの月額4400円が朝刊のみとなって4000円となった。
    三大都市圏の一角が崩れる
     ただ、休刊の理由が振るっている。「東海3県では朝刊だけを希望される方が増えており、朝刊のみをお届けすることにしました」という。休刊の原因を読者に転嫁しているようにもみえていただけない。
     もっとも、「朝刊のみ読者」の増加は全国的傾向とされているため、近い将来、東京や大阪エリアでの夕刊についても、同様の理由で休刊することを示唆したとも受け取れる。
     いずれにせよ、朝日新聞らしからぬ稚拙な表現と言わざるを得ない。
     一方、日本経済新聞も、8月にも休刊するという話が伝わってくる。読売新聞は、もともと朝刊しか発行していないため、東海エリアでは全国紙の夕刊がまったく読めなくなりそうだ。
     静岡県でも、地元有力紙の静岡新聞が3月末ですべての夕刊の発行を取り止めた。
     東海エリアで最大手の中日新聞は「当面、休刊する予定はない」というものの、夕刊の販売部数の落ち込みは大きく、先行きには不透明が漂う。
    新聞用紙代の大幅値上げが引き金
     引き金となったのは、製紙会社の新聞用紙代の大幅値上げだった。
     ウクライナ戦争をきっかけにした資源価格の高騰などを理由に、22年秋に続いて、23年度納入分についても、値上げを「通告」。合わせて3割程度というかつてない規模の値上げを、新聞各社に迫っている。
     製紙会社にとって、新聞用紙は特殊な用途であるため汎用(はんよう)性がなく、かねてから採算性が問題視されてきた。それでも、生産を続けてきたのは、新聞発行を支える社会的使命感によるところが大きいといわれる。だが、もはや背に腹は代えられなくなったのが実情のようだ。
     新聞市場が急速にしぼみ、年々売り上げが落ちていく中、新聞各社の財務状況は厳しく、用紙代の値上げ分を吸収する余力は乏しい。社会的使命をまっとうしようとするプライドと誇りはあっても、損益分岐点を割ってまでも新聞の発行を続けることは難しい。
    この20年で夕刊は66%減の記録的減少
     新聞協会の調べによると、2002年から22年までの20年間で、全国紙や地方紙の総発行部数は4739万部から2869万部へ39%も落ちているが、夕刊に限ると1761万部から593万部へ66%減という記録的減少となった。
     日本ABC協会によると、1月現在の全国紙の夕刊販売部数は、読売新聞162万部、朝日新聞121万部、日経新聞72万部、毎日新聞54万部にまで落ち込んでいる(朝刊はそれぞれ、663万部、397万部、168万部、185万部=22年下期平均)。
     それは、読者の「夕刊不要論」を反映したものと受け止めざるを得ない。
    夕刊に載っているニュースはほとんど既報
     実際、今や夕刊の記事の大半は、娯楽や教養、エンターテインメントなどで占められ、ニュースは海外発がわずかに掲載される程度だ。
     果たして、ニュースを読めない新聞が、新聞と言えるかどうか。
     一つの新聞ブランドが朝刊と夕刊を連続的に発行する形態、すなわち新聞社が1日に2度ニュースや情報を発信するスタイルは、日本特有といわれる。海外では、朝刊紙と夕刊紙が明確に分かれ、発行主体も異なっているケースが多い。
     世界でも特異な存在といえる日本の夕刊の歴史は古い。
     「日本新聞通史」(春原昭彦)などによると、国内における夕刊は1885年1月1日に、毎日新聞の前身である東京日日新聞が「午後版」を出したのが始まりとされる。
     継続的に発行されるようになったのは1910年代に入ってからで、大正デモクラシーの時期に重なる。1日1回の情報発信では満足できず最新のニュースを求めるニーズの高まりに応えようとしたともいえる。朝日新聞が大阪で夕刊の発刊に踏み切ったのは15年3月だ。ラジオも始まっていない時代だった(NHK開局は25年)。
     第2次世界大戦時の新聞統制令で、夕刊は、発行を規制されたが、戦後まもなく復活。用紙事情も緩和されて、「メディアの盟主」として新聞が隆盛を迎え、1960年代から70年代にかけて、夕刊や夕刊専門紙が活況を呈するようになった。朝刊と夕刊のセット販売は当たり前になり、各紙は競って発行部数を伸ばした。読売新聞が1000万部を突破したのは94年のことである。
     だが、2000年代に入ると、「新聞の時代」は暗転する。
     ネットの進展に伴って、だれでもニュースをリアルタイムで、しかも無料で入手できるようになり、情報の発信が朝刊と夕刊の2度しかできない新聞の存在感は年々希薄になっていった。とくに夕刊への影響は大きかった。夕刊が配られるころには、夕刊に載っているニュースはほとんど既報になっているからだ。
    全国に広がった地方紙の「夕刊廃止ドミノ」
     このため、読者の夕刊離れは日増しに膨らんでいった。とくに地方紙への影響は大きかった。
     00年に福島民報と福島民友が夕刊の廃止に踏み切ったのを皮切りに、夕刊休刊のうねりは全国に及んだ。
     08年のリーマンショック後には、秋田魁新報、南日本新聞(鹿児島)、琉球新報、沖縄タイムズ、北日本新聞(富山)、岩手日報、山形新聞、中国新聞(広島)、岐阜新聞が相次いで、夕刊の発行を取り止め、朝刊に一本化した。
     「夕刊廃止ドミノ」はとどまるところを知らず、20年のコロナ禍を機に、徳島新聞、大分合同新聞、東奥日報(青森)、山陽新聞(岡山)、高知新聞、熊本日日新聞が、続々と夕刊廃止に踏み切った。
     残る地方紙・ブロック紙で夕刊の発行を続けているのは、河北新報(仙台)、東京新聞、新潟日報、北国新聞、信濃毎日新聞、中日新聞、京都新聞、神戸新聞、西日本新聞など数えるほど。5万部に満たない新聞も少なくなく、いつ休刊してもおかしくない状況が続く。
     全国紙も、産経新聞がいち早く、2002年3月に東京本社発行の夕刊を廃止。その後、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞も、発行部数の少ない地方を中心に、夕刊の発行エリアを次々に縮小してきた。地方紙の夕刊廃止に伴い、地方紙に委ねてきた宅配がままならなくなったことも大きかった。
     そして今春、ついに三大都市圏にまで、その波が広がったのである。
    大阪、東京エリアの休刊は時間の問題
     朝日新聞の社内からは「28年にもすべての夕刊を廃止」「30年には夕刊の仕事がなくなっている」といった悲観論が聞かれる。
     これに対し、読売新聞は、山口寿一社長が年頭の業界紙インタビューで「都市部を中心に夕刊のニーズは今も確実にある」としたうえで「事実を確定し、正確に表現するというストレートニュースにこだわって、今後も夕刊をニュースメディアとして発行していく」と決意を語った。
     さらに、3月25日には、「本紙は値上げしません」と明記した社告を出した。新聞用紙代の値上がり分も新聞社で吸収するという。購読料改定にあたって「値上げする」という社告は見かけるが、「値上げしない」というのは珍しい。夕刊の伝統を死守しようという心意気が伝わってくる。
     ただ、この機に乗じて、苦境にあえぐライバル紙の顧客を奪おうという思惑も透けて見える。だが、かつてと違って、他紙へ乗り換えるのではなく、新聞の購読そのものを止めてしまう読者が続出。「顧客争奪戦」はもはや死語で、今や「顧客つなぎ止め戦」にさま変わりしてしまっている。
     購読料据え置きの社告もよく読めば、「少なくとも1年」という期限付き。裏を返せば、1年後には「値上げする」と宣言しているようにも映る。そのあたりも、賢明な読者は容易に察しそうだ。
    ネットでは新聞発の情報が求められている
     では、新聞を衰退に追いやったネットでは、ニュースはどのように読まれているのだろうか。
     ネットの視聴状況を調査するニールセンデジタルの「ニュース総合ランキング」で、スマートフォン(アプリ利用も含む)からの月間平均利用者数(22年1~10月)をみてみると、トップはヤフージャパンニュースで3720万人、2位はスマートニュースの2605万人とネット専業のニュースサイトが占めるが、3位に朝日新聞デジタル1306万人、4位読売新聞オンライン917万人、5位日経電子版815万人、9位毎日新聞デジタル631万人と、上位10傑に4紙がランクインしている。
     もとより、ヤフージャパンニュースやスマートニュースは、多くのニュースが新聞社発であることを忘れてはならない。
     ネット上でフェイクニュースや誹謗中傷があふれる中、正確で安心できるニュースや情報を提供する新聞社への期待が大きいことがよくわかる。
     新聞が産業として衰退しても、新聞社の存在意義は、以前にもまして重要性を増しているといえる。
    いつまでも「紙の新聞」にこだわるべきではない
     ところが、この期に及んでも、新聞各社は、ネット事業への本格的な取り組みに及び腰だ。いまだにネットにおけるビジネスモデルが確立できず、あえいでいる。
     いち早くネット事業に進出した日経新聞だけは電子版の有料読者が83万人を数えて採算ベースに乗ってきているが、朝日新聞はデジタル版の全記事を有料化したものの会員は25万人程度に低迷。読売新聞や毎日新聞のデジタル版は、読者サービスの域を出ていない。地方紙はさらに厳しい状況に置かれている。
     新聞社は150年におよぶ歴史の重みと成功体験のくびきからなかなか解放されずにいる。
     夕刊の存在意義がますます薄れゆく中、夕刊を目にすることがなくなる日はカウントダウンに入ったといってもいい。
     発行部数が激減し、広告費も縮小する中、このままでは夕刊どころか朝刊まで消える新聞が出てくる日は近いかもしれない。
     かつてエネルギー分野で石炭から石油へ、交通分野で鉄道から自動車へ、と主役が交代したように、メディアの世界でも新聞・出版の印刷メディアからネットメディアに主役が交代しつつある。即時性、双方向性、蓄積性、検索性などさまざまなメディア特性でネットメディアが優っている以上、歴史の必然ともいえる。
     5~10年先を見通したとき、新聞社が活路をネットに見出さざるを得ないことは自明だ。
     紙の新聞が脇役になっても、新聞社がネット時代にふさわしいニュース発信のあり方を築くことができれば、ジャーナリズムの主役であり続けられるに違いない。



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