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    アーカイブ PRESIDENT Online 2023/06/29 水野 泰志
    週刊朝日は150万部から7万部に激減していた…みんなが読んでいた「週刊誌」が消滅寸前にある根本原因
    ネットメディアに優るものが見当たらない
    週刊誌の凋落を象徴する「週刊朝日の休刊」
     1922年に創刊した日本最古の週刊誌「週刊朝日」が5月30日発売の最終号で101年の歴史に幕を下ろした。
     最終号はたちまち売り切れとなり、2週間も経った6月中旬になって週刊誌では異例の4刷の重版が発行されて店頭に並び、総発行部数はそれまでの倍以上の16万7000部に達したという。
     6月15日にはNHK総合テレビがゴールデンタイムのバラエティ番組「サラメシ」で休刊までの10日間の編集部の姿を放送する(その後も再放送あり)など、前代未聞のお祭り騒ぎが続いた。だが、それは、ローソクが消える前にぱっと一瞬輝くような光景にも似ている。
     ネット社会の進展に伴い、印刷メディアの週刊誌市場は急速に縮小。「文春砲」と恐れられるスクープを連発している「週刊文春」でさえ発行部数はジリ貧で、「週刊朝日」と同じ運命をたどりかねない週刊誌は少なくない。
     「週刊朝日」の休刊は、週刊誌の凋落を象徴する「事件」に違いなく、メディアの主役が交代する中で、「古き良き昭和の時代」を謳歌した週刊誌が姿を消していくのは歴史の必然なのかもしれない。
     だが、総合週刊誌を舞台に繰り広げられた「雑誌ジャーナリズム」が、週刊誌の衰退とともに命運が尽きるかというと、そうではないだろう。新聞や放送と一線を画してジャーナリズムの一翼を担ってきた雑誌ジャーナリズムのこれからを考えてみたい。
    「トップが悪い」と痛罵した吉永小百合
     「トップが悪いんじゃないですか。100年も続いた大事な雑誌をやめるなんて」
     女優の吉永小百合さんが、最終号に寄せた「週刊朝日とわたし」と題する一文の中の強烈な一節である。
     まさに、その通りだろう。
     かつての栄光の日々を忘れられず、ネットメディアを過小評価し、「夢よ、もう一度」と念じているうちに、休刊という悲劇を招いた経営陣と編集幹部の責任は重い。
     1990年代後半にピークを迎えた出版市場は、2000年代に入ると縮小トレンドが続き、「出版不況」が叫ばれるようになった。2010年代には、SNSの広がりやスマートフォンはじめモバイル端末の普及で、印刷メディアの限界とネットメディアの優位性は誰の目にも明らかになった。
     出版市場はみるみるうちに収縮したが、中でも深刻な苦境に陥ったのが総合週刊誌だった。
     メディアの歴史的な構造転換に直面したにもかかわらず、経営陣は漫然と時を過ごし、編集幹部は読者のニーズの変化をつかめなかった。無作為が招いた代償は大きかった。
     それは、同じ印刷メディアの新聞にも言える。成功体験が足かせとなり、メディア環境の激変に積極的に対応しなかった、いや、できなかった点は共通する。
    ピーク時の150万部超から7.4万部に落ち込む
     実際、この10年間の総合週刊誌の落ち込みは目を覆うものがある。
     日本雑誌協会が公表している「印刷証明付部数(いわゆる発行部数)」で、「週刊朝日」の最後のデータを確認できる2022年10~12月を基点に見てみよう(図表1)。
     「週刊朝日」の発行部数は、22年10~12月の平均で7万4627部。「コロナ前」の3年前と比べると約3分の2、10年前に比べると約3分の1に激減している。1950年代には150万部を超える発行部数を誇ったが、最後は全盛期のわずか5%にまで落ち込んだ。
     発行元の朝日新聞出版は、休刊の理由に「週刊誌市場の販売部数・広告費の縮小」を挙げたが、休刊に至る苦境は10年以上も前から推察できたにもかかわらず、活版ザラ紙という印刷メディアにこだわり続けた結果、「臨終」を迎え、「葬式」を出さざるを得なくなったのである。
    週刊誌全体が激減トレンドに直面
     他の総合週刊誌の現況も厳しいの一言に尽きる。
     「週刊朝日」と同根の「AERA」は5万7833部で、10年前の発行部数と比べると半分以下になった。長年のライバルだった「サンデー毎日」は、「週刊朝日」の半分以下の3万6389部で、10年前の7割しかなく、3年前からも4割減っており、青息吐息だ。
     毎週のようにスクープを放つ「週刊文春」こそ47万3115部を数えているが、10年前に比べれば3分の2、3年前からも15%程度落ち込み、反転しそうな気配は見えない。「文春砲」がニュースや話題を提供しても、売り上げにつながっていないのが実情だ。
     「週刊現代」は35万6000部(10年前比62.1%)、「週刊ポスト」30万0000部(同62.8%)、「週刊新潮」29万1582部(同52.0%)と、軒並み4~5割減という惨憺さんたんたるありさまだ。
     「家に持って帰って家族みんなで楽しめる」新聞社系週刊誌であれ、「電車の網棚にでも読み捨ててくればいい」という出版社系週刊誌であれ、激減トレンドは似たようなもの。一般週刊誌や女性週刊誌も、銘柄によってバラつきはあるものの、週刊誌全体が同じような危機に直面している。
     週刊誌の存在感が希薄になっていくのは、もはや不可避だろう。
    足かせになった「メディアの三要素」
     「なぜ、週刊誌が売れなくなったのか」については、さまざまな要因が複層的に絡み合っている。ここでは、印刷メディアとネットメディアを比較しながら、整理してみる。
     メディアを形づくるには「メディアの三要素」と呼ばれる「情報」「伝送路」「端末」が欠かせない。「情報」は、新聞や週刊誌では「記事」、放送なら「番組」、ネットなら「コンテンツ」と言い換えることができる。
     「伝送路」は、「情報」を運ぶ流通ルートで、新聞や週刊誌では「トラック」、放送なら「電波」、ネットなら「通信ネットワーク」が該当する。「端末」は、運ばれてきた「情報」を再現する道具で、新聞や週刊誌は「紙」、放送は「テレビ」や「ラジオ」、ネットは「パソコン」や「スマートフォン」ということになる。
     この三要素を、印刷メディアとネットメディアで比べてみる。「情報」の更新頻度は、週刊誌が1週間に1回(新聞は1日に多くて2回)しかできないのに対し、ネットはいつでも発信できる。最新の情報を得たい読者にとって、その差は歴然だ。
    週刊誌がネットメディアに優るものが見当たらない
     「伝送路」をみてみると、週刊誌は、印刷・製本した後、トラックで配送し、書店やコンビニで、ようやく読者が手にすることができる。ところが近年、書店が激減し、駅のキヨスクもほとんど姿を消し、コンビニでも雑誌を置かない店が急速に増えている。
     週刊誌を読みたくても、入手する場所がなくなりつつあるのだ。これに対し、ネットメディアは、通信ネットワークを通して直接利用者に「情報」が届く。回線容量が貧弱だった昔ならいざしらず、今や「5G(第5世代)の超高速の通信規格で世界中につながるようになり、接続のストレスはなくなった。用紙代、印刷代、配送代などはほとんどかからないため、流通コストは比較にならない。
     「端末」にしても、日常生活で便利ツールのスマホより重いものをもつことがなくなった人たち、とくに若年層にとって、かさばる紙の印刷物を持ち歩くことは、苦痛とさえいわれる。
     つまり、どこから見ても、週刊誌がネットメディアに優るものが見当たらない。したがって、売れなくなるのは当然なのである。
    NHKは受信料、民放は広告料という基盤がある
     ビジネスモデルからも見てみたい。
     週刊誌の場合、基本的に、読みたい人が毎号、お金を出して購入するというスタイルだ。どれだけ売れるかわからない部数を長年の経験とカンで印刷して発送する、きわめて不安定なシステムといえる。
     これに対し、同じ印刷メディアでも、新聞は月ぎめ購読の宅配が主流なだけに、新聞販売店を通じて読者の顔や数を確認できるという点で、週刊誌よりも少しましなモデルということができよう。
     放送は、NHKが受信料(新聞と同じサブスク=定期購読モデル)という確固たる財源を担保され、民放はスポンサーの広告料という強力な基盤に支えられている。このため、視聴者は、テレビやラジオさえ持っていれば、料金を支払う痛痒感をもたずに大半の番組を楽しむことができる。
     ネットは多くの場合、広告効果を細かくチェックできる利点を生かした広告が収入の源泉で、その規模は、今やマスメディアの広告収入をはるかに凌駕するまでになった。利用者は無償でさまざまな情報やコンテンツを得られるので、ますます利用が増えていく。もっとも、ネット企業に、知らぬ間にありとあらゆる個人情報を吸い上げられるという「対価」を払っているのだが……。
     こうしてみると、週刊誌のビジネスモデルが、いかに脆弱ぜいじゃくであるかがわかる。そして、売れなくなれば、値上げして収益を確保しようとする。すると部数は減る→また値上げする→さらに部数が減るという、負のスパイラルに入ってしまったのである。
    新聞・テレビにはない「週刊誌報道」の強み
     ただ、これは、印刷メディアとして週刊誌を捉えた場合の話だ。雑誌ジャーナリズムの真骨頂は、新聞や放送が報じにくいニュースやスキャンダルを掘り起こすところにある。
     うわさの段階から取材を始めて生煮えでも世に問う手法は、新聞ジャーナリズムや放送ジャーナリズムとは、そもそもコンセプトから異なっている。
     連載の読み物が充実し紳士的といわれた朝日新聞社系の「週刊朝日」も、関西テレビの「発掘!あるある大事典Ⅱ」の納豆ダイエットのデータ捏造ねつぞうをスクープしたり、毎日新聞の誤ったレンブラント報道を明るみに出して、大いに紙価を高めた。
     出版社系週刊誌の報道は、さらに強烈だ。直近では、ジャニーズ喜田川氏の性加害問題を、新聞や放送が沈黙を続ける中で敢然と追及してきた「週刊文春」の気骨を知らない者はいないだろう。
     「週刊現代」や「週刊ポスト」も、さまざまな批判をものともせず、政治家や大物芸能人たちを震え上がらせた。次々に起こされた訴訟も「それこそ勲章」と胸を張った。
     東京新聞の「時代を読む」コーナーに、山田健太専修大教授が寄せた「ジャーナリズムのやんちゃ性」と題する小論(6月18日付)は興味深い。社会全体を覆うメディア批判について「報道は絶対に間違いが許されないとの思い込みがある。例えば、週刊誌の憶測記事はもってのほかとされるが、果たしてそうか。メディアが均質で同様の『確からしさ』を身にまとっていては、私たちの生活は味気ないものになるだろう。雑多な情報があってこそ豊かな情報空間が生まれる」と喝破している。
    日本には「やんちゃな週刊誌」が必要だ
     雑誌ジャーナリズムに共感し、週刊誌を購読する愛読者は必ずいる。
     だから、週刊誌づくりのコンセプトを丸ごとネットメディアとして展開しても、これまでわざわざ書店やキヨスクに足を運びお金を出して読んでいた人は、読みたい記事があれば印刷メディアの週刊誌と同じように購読することが期待される。
     ネットで盛り上がる話題のネタ元は、少なからず週刊誌にあった。週刊誌発のコンテンツがネットで広く流布されるとなれば、週刊誌の影響力は以前にもまして大きくなっているということもできる。
     だが、出版社のネットへの取り組みは、大幅に遅れた。文春オンラインやデイリー新潮のように、独自のネット展開を始めているところもあるが、まだ少数派だ。
     NTTドコモのdマガジンやauのブックパスのようなネットサービスでは、出版されている雑誌の大半を読むことができるが、誌面をそのまま載せているにすぎない。しかも、すべての雑誌をあわせて月額数百円という値付けでは、あまりの安さにビジネスとして成り立つはずもない。
     雑誌ジャーナリズムが生き残りさらに輝くためには、印刷メディアに見切りをつけ、舞台をネットメディアへ移すことが必須だろう。
     ネットをプラットフォームとする、あらたな形態の「ネット週刊誌」である。
     速報性や蓄積性、双方向という、ネットメディアの特性を十分に生かした報道ができれば、印刷メディアの週刊誌が消え行こうとも、朽ちることはないはずだ。



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