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    アーカイブ 日本トランスユーロ広報誌 コラム 2000/04/15 桜井 元
    ベルリンの躍動は東から地下から(日本トランスユーロ広報誌 コラム 2000年4月 第42号)
     「いま世界で一番変化に富んだ都市。ニューヨークの躍動感に通じるかと思うと、どこかに米西部の味わいが残っている」
     指揮者のサイモン・ラトル氏がにこやかにベルリンの魅力を語った。
     ラトル氏は、2002年のシーズンから世界屈指の交響楽団、ベルリン・フィルハーモニーを率いる45歳の俊英だ。昨年秋、フィルハーモニーのロビーであった就任決定後初の記者会見で、ユーモアをちりばめた彼の言葉を聞いた。「このフィルハーモニーも壁の崩壊までは西ベルリンの東のすみっこにあった。それが、今や首都の真ん中だ。僕もロンドンを拠点としてきたが、ベルリンに住まいを持つよ」
     ラトル氏の言葉を裏付けるかのように、週刊誌シュピーゲルが今年4月、「ベルリン――輝ける田舎の首都」という特集を組んだ。フィルハーモニーの近くに出現したピカピカのソニー・ヨーロッパセンターや、ダイムラー・クライスラーのビル群。シュプレー川沿いの政府関係施設。建築家が斬新さを競うような建物が目をひくベルリンだが、一方で、武骨な息づかい、財政的・構造的な悩みも残る。それを「ウエスタン」にたとえたラトル氏の感性を思い起こした。
     ロンドン、パリ、ローマに続いてベルリン。欧州の首都のうち、世界の観光客を集めるランキングでは4位だ。でも、ドイツ人の国内旅行先では抜群の人気。昨年は420万人が訪れた。
     「東京6割、ベルリン4割の比率で仕事をしてきた。でも、この街に来てみると、東京・ベルリンを半分ずつにしようかと思う。東京に住む妻には叱られるかも知れないが……」。日本の作家の肖像を写真集『現代日本文学』にまとめ、ドイツ語圏に紹介した写真家マリオ・アンブロシウス氏(最近はマリオ・Aという名で活躍)は、東ベルリンの個展会場で語った。
     「初めて訪れたのは、壁が崩れる前だった。その後も、毎年のようにこの街を訪ね、カメラを向けてきた」。東京、香港、ベルリンと都市の素顔をえぐるように表現してきた写真家の宮本隆司氏も、東ベルリンで個展を開いた時に話した。
     世紀末に刻々と表情を変えてきた首都。観光では欧州4位とはいえ、ベルリンの変容は芸術家の心を引き寄せる。「グッピー」の名でビデオアート制作に取り組む畑洋子さんのように、この街から新しい感覚を発信する若い日本の美術家もいる。南ドイツのミュンヘンから引っ越して1年半の日本人女性の画家は「保守的なゆるやかな町から移ってきて、ベルリンでは何が出てくるか分からない混沌、多国籍のパワーを感じる」
     ボンから移転してきた官庁やオフィスビルの建築ラッシュ、都市計画など、目に見える変わりようにとどまらない。宮本氏が写真を撮り、ベルリン在住の美術ジャーナリスト河合純枝さんが書いた本『地下のベルリン』(文藝春秋、1998年)は、都市の暗いはらわたを白日のもとにさらす。ナチスドイツの時代から、東西分裂の悲劇を経て、生き残る防空壕や地下工場、水路……。帝国時代の大使館を改築中の新しい日本大使館にも、防空壕があった。今も生き残る地下空間の一部は、ディスコやライブハウス、バーなどに衣替え、サブカルチャーの拠点となりつつある。
     地下から伝わる躍動感とならぶのは、東からの風だ。とりわけ、ハッケッシャーマルクト、プレンツラウアーベルクといった東ベルリンの下町に若者が集まる。
     旧東独時代に手入れされなかったくすんだビルに、しゃれた靴屋が入っている。タイ、インドなどエスニック系の料理店が増えてきた。家賃がクアフュルステンダム(クーダム)など西の繁華街より安いため、値段も割安感がある。西ベルリン育ちの若いタクシー運転手は「もうクーダムには飲みに行かないよ」と言い切った。
     写真家マリオ氏と一緒に入った店は、鉄パイプのオブジェのようなテーブルが並んでいた。その薄暗いスペースをくぐり抜けると、寿司のカウンターが出現。壁には日本のアニメのポスターがはってあった。
     ユダヤ協会シナゴーグのそばにあるイスラエル料理店は、若者に人気だ。もっとも、シナゴーグ前の表示板には「ナチスの迫害で破壊された」と暗黒の歴史が刻まれている。極右の攻撃に備えて、警察官が立つ。ベルリン文化のビートがどこか重いのは、こうした歴史の暗部を引きずっているせいだろうか。
     半ば朽ち果て、ペンキや横断幕で彩られた異様な建物タヘレスには、ギャラリーも入居。それ自体が芸術のようだ。地方から修学旅行などでベルリンを訪れる中高生が必ず見物にやってくる名所になった、と聞いた。ここをはじめ、統一後、芸術家たちが「占拠」した古いビルがいくつもあり、行政との争いになった。なかには解体され、新築マンションやガラス張りのレストランに生まれ変わった建物もある。
     東ベルリンの古びたビルにあるジャズクラブ。ベルリン在住で、地元紙ベルリナー・ツァイトゥングの昨年の文化賞を受けた高瀬アキさんのピアノを聴いた。新しい命を吹き込もうという意志の強い音楽に、喝采が送られる。「横に揺れるようなアメリカ流の乗りとは違う。ここではジャズも垂直にがっちりつくられている」。高瀬さんは、ベルリンのビートをそう分析した。たゆたうような米国系黒人のスイングではなく、歴史の地層から突き上げ、また掘り崩すような「縦の乗り」というわけだ。
     東京との大きな違いは、ジャズにもベルリン市(州に相当)の公費補助があることだ。高瀬さんは、やはりピアニストの夫、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ氏と2人でベルリン・コンテンポラリー・ジャズオーケストラを率いる。「市の支援がないと、とても音楽活動はたちゆかない」。ドイツで活動して最初に驚いたのは、自分たちのジャズオーケストラ用にかいた新曲にも、創作活動への支援ということで補助金が出たことだった。
     ところが、この充実した文化支援に影がさし始めた。ベルリン市の文化予算を削減しなければならない、と行政側のかけ声が響き始めたのだ。壁のあった時代、この街は東西両ドイツのショーウィンドウだった。だからこそ、それぞれ無理をして予算を配分し、国を代表する劇場、オペラハウス、オーケストラを運営してきた。西ベルリンの学生には徴兵制も免除された。統一ドイツの首都ベルリンは、「ふつうの首都」でもある。もう特別扱いは許されない。
     人口約350万で、オペラを含めクラシック音楽のプロのオーケストラを8団体もかかえるベルリンは、世界一の「楽団過密都市」と言える。
     ルート・アンドレ―アス・フリードリヒ著『舞台・ベルリン――占領下のドイツ日記』(朝日選書、1988年)には、1945年の敗戦直後から、ベルリンフィル再建に取り組みながら、占領米軍の誤射で命を落とした指揮者の情熱が描かれる。廃墟からよみがえった同フィルはまず安泰としても、ほかの楽団が生き残れるのか。心配する声は絶えない。
     ベルリンの躍動は本物なのか。それとも田舎町にメッキがかかっているだけなのか――。街が生み出すアートを注意深く観察すれば、正体が見えてきそうだ。
               (2000年4月“Nippon Transeuro News”第42号 に掲載)



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