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    アーカイブ 西日本新聞社編 書評 2024/11/02 豊田 滋通
    われ牢前切腹を賜る玉蟲左太夫とその時代 「探索者」が記録した幕末 後藤乾一著(作品社)
     玉蟲 左太夫たまむし さだゆう(1823~69)は、幕末から明治の初頭を生きた仙台藩の下級藩士である。戊辰ぼしん戦争で、官軍に対抗する奥羽越おううえつ列藩同盟の結成に使者として奔走。同盟崩壊、仙台藩降伏で榎本武揚の幕府艦隊に合流すべく蝦夷地へ脱出を試みたが、藩内の対立勢力(勤王派)によって首謀者として捕縛され、獄中生活のあと「牢前切腹・家跡没収」となった。
     本書の後半は、「賊軍」の汚名を着せられた奥羽諸藩が必死に生き残りを模索し、その渦中で冷徹な政治の論理に絡めとられて行く一藩士の非業の死までを、豊富な史料や本人が残した記録・書簡などでたどって行く。戊辰戦争当時の奥州を知る上でも格好の書といえよう。しかし、本書でより興味をひかれるのは「探索者」としての玉蟲の前半生である。
     著者は玉蟲の生涯を、史官として記録能力を発揮した「知の集積期=文の時代」と、藩命で幕府や諸藩の動向を探る探索者(密偵)となった「幕間まくあいの時代」、政治と軍事の世界に突入して行った「武の時代」の3つに分ける。史官の本領を最初に示したのは、安政4(1857)年、箱館はこだて奉行・堀利熙に随行した蝦夷えぞ地巡検の記録である『入北記』。当時、仙台藩はロシア進出の脅威に対抗するため幕命で蝦夷地の一部を統治しており、玉蟲は現地の風土やアイヌ社会、和人官吏の実態などを「巨細大小見聞ニ従ヒ逐一」記述した。
     江戸詰めとなった玉蟲は、日米修好通商条約批准を目指す幕府の遣米使節団に、正使・新見正興の従者に抜擢されて同行。万延元(1860)年、米軍艦ポーハタン号で米国に渡った。当初はアメリカを「夷国」と呼んだ玉蟲だったが、艦内で下級水夫の水葬に上下分け隔てのない米国人の人間関係を見て「船将・士官ノ別ナク…同輩ノ如シ」と驚愕する。以後の玉蟲の日録には、米国内での使節団の熱狂的歓迎をはじめ、議会制度や清潔な病院、日本人として初めて乗った蒸気車の科学的仕組みなどが詳細に記録される。それらの集大成が『航米日録』。玉蟲は、ほかにも幕末史の一級史料である『官武通紀』などを残したが、瞠目どうもくすべきは『人心ヲ和シ上下一致ニセンコトヲ論ス』と題した論文。その思想は、現代の民主主義社会の根幹をなすものである。
     評 豊田滋通(歴史ライター)
    【著者略歴】ごとう・けんいち=東京生まれ。早稲田大名誉教授・名誉評議員。関心領域は「アジアの中の近代日本」の通史的・学際的研究。近年の著書に『「沖縄核密約」を背負って―若泉敬の生涯』(岩波書店)『東南アジアから見た近現代日本』(同)など。
    (2024年11月02日付・西日本新聞)



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