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アーカイブ 西日本新聞社編 書評 2024/12/07 豊田 滋通
傍流の巨人 渋沢敬三 民俗と実業の昭和史 「学際」のオルガナイザー 畑中章宏著(現代書館)
巻頭の写真と新一万円札の肖像を見比べると、二人はやはりよく似ている。渋沢敬三(1896~1963)は「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一の孫であり、戦前・戦後の日本経済を支えた財界の巨頭。だが、在野の民俗学者で国内屈指の民具収集家、学際研究の組織者で社会貢献活動家でもあった渋沢敬三は、並みのくくり方ではとらえきれない多様な顔を持つ。著者が「傍流の巨人」と呼ぶゆえんでもある。
本書は第1章「民俗と実業のはざまで」で、渋沢敬三の生い立ちと二つの側面を描いて行く。敬三は栄一の嫡孫として銀行経営など多くの事業を引き継ぎ、終戦前後には日銀総裁や大蔵大臣などの要職も務めた。一方で、20代のころから農漁具や玩具、生活用具の収集にのめり込み、自宅物置の屋根裏に標本室を開設。これがのちに「アチック・ミューゼアム」と名付けた私設博物館になり、多彩な研究者たちの梁山泊の様相を呈する。渋沢は貧しい研究者たちを経済的に支援し、その中にはのちに「旅する巨人」と呼ばれる民俗学者の宮本常一もいた。やがてパトロンではおさまらず、希代のオルガナイザー(組織者)としての本領を発揮。生物学や考古学など幅広い研究者たちを組織化した学際研究の場を構想し、それが「九学会連合」として結実した。
第2章では、渋沢の著作をもとに研究者、文筆家としての業績が語られる。ライフワークとした漁業・水産史の論文もさることながら、『犬歩当棒録』などの雑文集も興味深い。初の単行本『祭魚洞雑録』には「祖父の後ろ姿」という一文がある。「偉人というよりは、むしろ侘しい一個の郷里血洗島の農夫の姿を見るような気がしました」「『棒ほど願って柱ほど働いて針ほど叶った』のが量的に見た祖父の一生かもしれません」などと栄一像を語っている。
第3章「非主流の証明」は、「傍流」を貫いた渋沢の思想性の分析。驚かされるのは、その発想のユニークさと先進性である。「真の成功は失敗を素直にかつ科学的に究明した上に築かれる」とする『失敗史は書けぬものか』や、原子力と人類の関係は「想像以上に大変なことになる」と警告を発した『太陽からもう少し頂戴できぬか』という論文は、半世紀以上を経た今も輝きを失っていない。
【著者略歴】はたなか・あきひろ=大阪府生まれ。民俗学者。災害伝承・民間信仰から最新の風俗・流行現象まで、幅広いテーマに取り組む。主な著書に『天災と日本人』『廃仏毀釈』(ちくま新書)『「日本残酷物語」を読む』(平凡社新書)『五輪と万博』(春秋社)『宮本常一』(講談社現代新書)など。
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