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    アーカイブ 先人の知恵・他山の石 IT業界 2022/08/16 内海 善雄
    第5回チャンスを掴み取ろうとしない日本企業 September 15 2022
    ITU選挙と当選で垣間見た欧米先進国の戦略
     ITU事務総長選挙に立候補した時、ケニア出身のITU事務次長チャシア氏とインドネシアの公社総裁のパラパック氏が対立候補であった。日本の見方は、先進国は先進国出身の内海を支持、また、アジア諸国も日本を支持、一方、チャシア氏は、アフリカ諸国や開発途上国、それに英連邦が支持。パラパック氏は、ムスリム諸国から広く支持を得るだろう。したがって、内海は、中南米諸国の票がカギだということであった。しかし、この予想は、大きく間違っていた。
     まず、アジア諸国は一般的に日本国に反感を抱いており、日本国出身者を支持しないのが現実だった。欧米先進国は、「日本出身者がITU事務総局長になると日本の通信関連産業が有利に取り計らわれて、ますます日本が強くなる」ということを公言して反対に回る国が多かった。結局、アフリカ諸国やアラブ、中南米を中心とした支持で当選することができた。
     この予想に反した米国を中心とした反応は、日本と欧米との関係や、国民性を如実に物語っていると思う。そもそも国際機関のトップに立候補するのは何のためか? 「自国に有利にさせるためのものである。」という考えが、欧米の考え方だろう。一方、日本人は、国際平和や国際協力、せいぜい日本のプレゼンス向上のためという、きれいごとを言ってきた。
     当選して、一番に飛んで来たのが米国の高官であった。「3Gは、世界中がITU標準を使用すべきだ。そのように説いて回れ」と圧力をかけてきたのだった。この10年前、自由化を巡る日米電気通信交渉で米国は、「通信機器はITU規格を条件にしてはならない。人体に危害を加えないという条件で必要充分だ」と主張し、そのような技術基準を日本に押し付けた。もちろん、日本が主張した、ITU規格に従い、どこの国とも通信が容易にできるようにするのが正論である。
     この機に及んで米国が、当選したばかりの事務総局長に正論を告げに来たのは、大きな訳がある。既存電波が枯渇していて、ユーザー数を増やせられない日本のNTTドコモは、3G用の電波を一刻も早く使用してサービスを拡大し、ユーザーを増や必要があった。 一方、3Gの世界標準化の合意はまだできていない。開発が遅れていた米国企業は、もし日本に先行発車されると日本企業が世界を席巻し、窮地に立つという危機感があった。米国企業は、標準化の合意を口実に日本の先走りを抑えたかったのである。そして米政府高官をよこした。
     私がITUの標準化作業を促進すべく動き出すと、欧州の企業は説明にやってきたが、日本企業や政府からは戦略を教えてもらうことはなかった。たとえ聞かせてもらえていたとしても、当時の初心な私なら、世界の人たちの利便のため、ITUの標準化作業を速め、世界中が同じ規格で通信ができるようにすべきという考えは一歩も変わらなかったと思う。
     しかし、多少、世の中を見てきた今なら、日本が独自規格、あるいはヨーロッパとの連合規格で先行発車し、世界を席巻して世界規格とする(de fact 標準)という方法の実現可能性や、損得を真剣に検討したと思う。そして、ITUの役割や自分の立場とのはざまで悩んだかもしれない。しかし、当時の日本で、独自規格で走るというオプションを検討しただろうか? ましてや、日本出身のITU事務総局長を活用することなど考えた人はいただろうか?
     実のところ、米国が恐れたのは日欧の連合規格ができて先行発車されることだったと思う。結果としては、ITU標準規格ができたが、それは、日米欧の混合規格であるから日欧は米国企業に多額の基本特許料を払うということになり、米国の利益は確保された。しかし、熾烈な駆け引きをした日米欧の開発企業のその後は好ましいとは言えない。その標準化規格を活用した韓国勢が世界を制した。その韓国勢も、今は中国にやられている。
     20年近く後になって、3Gの標準化が問題であった当時のNTTドコモのトップだった人から、「2Gは日本独自規格だったから世界で売れなかったというので、3Gは世界標準に従った。 だのに、なぜ負けたのだ?」という発言を聴いたことがある。
     当時、「ノキアやエリクソンが世界を制覇したのは、技術力ではなく、GSMというヨーロッパ規格のおかげだ。日本が独自規格を取ったから負けた」という意見が世の中を占めていた。そして、その反省によって世界標準を取った3Gだが、日本以外では売れなかった。それは日本の携帯がガラパゴス化したからだと言われ、そのガラパゴス化という言葉も陳腐になってきていた時期である。世界標準に(いやいや)従ったドコモ・トップには、忸怩(じく)たる思いが消えないのだろうか?
     日本の携帯電話がなぜ世界で売れず、日本の電子産業が凋落したか、いろいろな理由が挙げられている。独自規格、ガラパゴス化、円高、ディジタル化による組み立ての容易化、安い人件費の韓国、中国の進出等々である。これら巷で関係者が唱えたもっともらしい理由は、どれも根本的な原因ではなく、単なる言い訳に過ぎないと思う。根本的な原因は機会の逸失である。横並びや前例などにこだわり、リスクを取らず、大きなチャンスを逃がしてしまったことに原因があると思う。詳細は後述したいが、そのように考えるに至った背景として、まずITUで見た日本企業の機会逸失の諸例を挙げてみよう。
    アフリカ・テレコムに参加しなかった日本企業
     ITUでは、通信のオリンピックと呼ばれた大展示会を4年ごとにジュネーブで開催していた。世界の通信関連企業がパビリオンを構え、各国の大臣クラスが参加して、展示各社の最新技術の紹介や商談、顧客の接待などが行われる。(99年に開催されたテレコムに参加したシリアの大臣がネットワークのIP化を決意したのは第3回に記述)ITUは、ジュネーブで大盛況のこのイベントを開発途上国に広めようと、毎年、アジア、南アメリカ、アフリカと順番に地域イベントを開催していった。
     南アのヨハネスブルグで開催したアフリカ・テレコム(2001年)は、アフリカ中の大臣が参加し、極めて盛大に開催され、宗主国であった欧州の企業などは、レセプションなどでプレゼンスを示し、企業宣伝に努めた。なかでも韓国・中国企業の参加が目立った。ところが、日本企業が一社も参加せず、日本人は一人も来なかった。アフリカ・テレコムに参加しないということは、世界の電気通信関連産界では日本企業はこの地域では事業を行わないと公に意思表示するに等しい。
     ある中国企業のブースでは、アフリカでの実績を展示していたが、数はまだ数例しかなかったがその企業の商品によるIPネットワークの建設だった。私は、早くもアフリカでIPネットワークの建設を始めたのかと感心すると同時に、日本企業の動きが気になった。
     日本に帰国した際、某大手の通信機メーカーの社長にどうしてアフリカ・テレコムに参加しなかったのか尋ねると、「あんなところに売るような商品は生産してない」と取り付く島がなかった。後で専門家などに聞いてみると、「日本では高品質の商品を作っているので、アフリカで売れるような安物は生産できない。しかも売れる規模も小さいから商売にはならない」とのことであった。
     確かにメーカーの言には理あり、詳細を知らない部外者が口を挟むような問題ではない。だが、膨大な人口を抱え、まさに情報通信革命が起き始め、まだ特定の国が支配してないないアフリカ市場を相手にしなければ、どこで商売ができるのだろうか? その後、ITUが開催した世界情報社会サミットによって情報化に目覚めたアフリカの首脳を相手に、中国はODAを梃子としながらアフリカ全土に膨大な通信インフラ投資に関与した。その結果、現在では日本がアフリカ市場に手を出すことは事実上不可能となっている。
     最近になってテレビで、アフリカの外務大臣を呼び日本政府によるTICAD(アフリカ開発会議)を開催して、アフリカへの投資や援助を表明したなどと、毎年報道されるが、真にむなしい限りである。
     ITUの任期が終了した後、10年間JTEC(財団法人通信放送コンサルティングサービス)の理事長をして、更に具体的なケースでアフリカの実態を知った。
     アンゴラは石油などを産してアフリカとしては比較的に恵まれている国である。中国のODAで光ファイバーの基幹網を建設したが、中国企業の工事等が信用ならないと、JTECと施工管理のコンサルタント契約を結んだ。かつてJTECが行ったサービスが信用できると、JTECが頼まれたのである。JTECの専門家の話だと、「中国企業のケーブルの埋設は杜撰で、すぐ露出し、故障して使い物にならない。いちいち細かく指導・監督しなければ使えるものにはならない」とのこと。しかし、いくら日本人が信頼されても、ODAなどと絡ませなければ、ごくわずかなコンサルタント料ぐらいしか日本にはビジネス・チャンスがない。しかもこのコンサルタント料も、もとは中国のODAのおこぼれであるに違いない。
     今世紀末には人口の6割がアフリカ人になるそうだが、通信分野におけるアフリカ・ビジネスの失敗は、なんといっても大きな潜在市場を短期的にしか見ず、バカにして相手にしなかったことである。一人もアフリカ・テレコムに来ない日本人の横並び意識で、世界の動向を知るチャンスさえも失い、10年ぐらい遅れて気が付いて少し手を打っても、取り返しは効かない。
     ヨーロッパの地デジ化のビジネス・チャンスに見向きもしなかった家電業界
     ITUでは、世界を3地域に分割してテレビ放送の電波を割り当てている。日本はアジア地域に属し、ITUから割り当たられた電波帯から、チャンネルを選んで政府が個別に放送事業者に免許を与える。実は、正確に言うと、ITUが電波帯を割り当てるのではなく、各国が集まって電波帯の割り当ての合意(条約)を作成するのである。この条約制定会議をWRC (World Radio Conference)と呼ぶ。
     ヨーロパ、アフリカ、中東地域は、一つの地域を構成していて、このWRCで合意された電波帯のうち、どの国の、どの都市に、どのチャンネルを割り当てるかITUのRRC (Regional Radio Conference)で、詳細に合意する。各国はその合意に従って放送局を免許する仕組みである。ヨーロッパは多数の国が存在し、人口が密集しているため、各国で自由にチャンネル分配を行うと混信してテレビ放送が成り立たなくなるためである。
     テレビ放送のディジタル化に応じて、ヨーロッパ・アフリカ等の地デジ放送の割り当てのためにRRCが2004年と2006年に開催された。上記の通り、ここでは、定められた放送方式に従って、どの都市に、どのチャンネルを分配するか決められ、近い将来のヨーロッパのディジタルテレビ放送の姿が決定される。しかし、その会議にオブザーバー出席して情報を得ようとした日本人は皆無であった。一方韓国企業は積極的に職員を派遣して情報の収集を行っていた。
     日本で地デジが開始されたのは、2003年であり、世界でも先頭を走っていた。その時、地デジ用のテレビ受信機が多いに売れて家電業界が活況づき、大きな利益を上げた。家電業界だけではなく放送設備メーカーも多いに儲かったのである。総務省は、誇らしげに地デジ効果、何兆円と発表を繰り返していた。日本市場でのこのような成功体験がありながら、その後に起きた何倍もあるヨーロッパ市場でのビジネス・チャンスに見向きもしなかった日本企業の姿勢は全く理解できない。日本に帰国した際に関係者に注意喚起したが、皆、自分のことではないと、知らぬ顔であった。
     ソ連時代に、ソ連、東欧を視察したことがあるが、共産党支配下でも日系家電メーカーの大きな看板が街のあちこちに掲げられ誇らしく思った。当時、家電メーカーは世界で商売をしていたが、それから10数年後、ヨーロッパの地デジ化ビジネスの大きなチャンスにどうして積極的にならなかったのか? ヨーロッパ市場では、大型のブラウン管テレビから大型の液晶パネルの地デジ用テレビが爆発的に売れた。そして売り場は韓国メーカーの商品ばかりとなった。日本企業は、日本市場でのみ地デジ需要を享受し満足したが、韓国企業は世界市場で何倍もの利益を享受し続けているのである。その後日本では、規模の利益で劣り、韓国等海外メーカーの進出などを受け、テレビ生産を止める家電メーカーが続出している。
     ヨーロッパ各国の地デジ化が進み、次は開発途上国の時代になったとき、不思議なことが起きた。日本の地デジ方式を世界に広めるのだと政府が躍起になって働いたのである。地デジの方式は、すでに前述のRRCで決定されていて、その方式(ヨーロッパ方式)に従ってチャンネル分配が行われている。よほどの変わり者でない限りこの地域で日本方式を採用することはできないのである。それでも政府は強力に働きかけ、アフリカのある国が日本方式を採用した。しかし、割り当てられている電波は日本とは異なる周波数だから、日本のテレビ受信機は使えない。その国の政府は、受信できるテレビ受信機が世界に存在しないことを知る。その国は、日本に泣きついたが、メーカーも特別な受信機を少量生産しても割に合わない。政府の口車に乗って日本方式の採用を薦めたメーカーは、とんだ損失を食らった訳である。
     なぜヨーロパ、あるいは後に起きる中東、アフリカ諸国での地デジ化で、大きなビジネス・チャンスをつかもうとはしなかったのか? 
     考えられることは、RRCで、すべてが決定されるということを知らない政府や企業である。総務省も、WRCには関心が深く、準備作業をフォローし、数十人の大代表団を送り込む。しかし、他の地域の問題であるRRCは、誰もフォローしていないのではないか。
     ヨーロッパに駐在員を持っていたメーカーは、現地スタッフや現地政府から数年にわたって準備がなされ、2度にわたって開催されたRRCのことは、少しは知っていただろう。しかし、他のメーカーが動かなければ、わが社も動く必要はないという横並び意識が働いたのではないだろうか。
     もし、総務省から「RRCにオブザーバーを派遣してフォローし、ビジネス・チャンスをつかもう」と一声あったなら、ITU事務局は日本からの多数のオブザーバーに席を用意出来なくて、入場制限をかけざるを得なかったと思われる。
     他社がやれば、自分もやる。他社がやらなければ自分もやらない。政府が声をかければ、不合理なことでもやる。声をかけなければ、大きなビジネス・チャンスでもつかもうとしない。これが、一流日本企業に蔓延している行動パターンだと思う。要するに、政府も企業も口では国際化などと言っていても、もはや日本全体がリスクの大きい海外のマーケットに関心がないのである。自分の安全が第一なのだ。アフリカの奥地まで日本の商社の人が入っていたかつての時代が懐かしい。
    (以下次回に続く) 



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