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    アーカイブ 先人の知恵・他山の石 IT業界 2022/12/01 内海 善雄
    第7回Tシャツ戦術で交渉を有利に働かせたエリクソン December 1 2022
     様々な職場や異文化を経験すると、なるほどと見習うべき慣習やアイディアがいっぱいある。それらは、日本の慣れた環境の中では気が付きにくいものだ。思いつくままにいくつか挙げてみよう。
    3Gの標準化会合
     3Gの標準化作業が大詰めに差し掛かっていた1999年3月、ブラジルのフォートレザという観光地でITUの標準化グループの会合が行われた。当時は、IMT-2000という名称で呼ばれていた。背景の理解のため、少し長いが拙著「国連という錯覚」から、この会合の部分を引用させていただく。
    「第3節 第三世代携帯電話
     就任したばかりの私のところへ一番に、ワシントンから米国国務省の電気通信担当大使マッカーン女史が飛んできた。
     「ウツミさん、事務総局長のご就任おめでとう。
     ところで今第三世代の携帯電話の標準化が問題になっているが、これは、各国ともITUで決められた標準化にしたがってサービスを行い、世界中で共通に使えるようにしなければならなりません。しかるに日欧は、ITUでの標準化の合意の前に独自のプロトコールでサービスを先行開始しょうとしている。そんなことになると全世界で使えるという第三世代の携帯電話の理想が壊れてしまう。ITU事務総局長として、日本や欧州に、ITUで標準化された方式を使うよう働きかけて欲しい」
     ITUでは、ちょうどその時、第三世代の携帯電話の標準化作業が最終段階に差し掛かっていた。日米欧が、それぞれ自国で開発した技術を世界標準にしょうとしのぎを削っていた。米国は、日欧が協調して早くサービスを開始しょうとしていたのに対して、別の方式を検討していた。そこで、日欧が有利になることを恐れて、ITUの標準化プロセスで時間を稼ぐと同時に、自国開発の技術をITU標準に採用させようとしたのであった。
     ちょうど10年前の1980年代、MOSS協議と呼ばれた日米通商交渉の過程で、私は電気通信の自由化に関する交渉に携わった。交渉途中で、通信機器の「プロトコール」は、ITUの国際標準に従わなければならないという日本側の省令案に対して、米国が、総て自由にすべきだと主張した。
     日本は、アメリカの了解を得ることが出来ず、通信自由化法案の実施が延期された。米国は、ITUの国際標準を盾に日本が米国製の電気通信機器を締め出す恐れがあると考えたのである。
     小山守也郵政事務次官に同行して私は、ワシントンに飛び、アメリカと交渉を継続した。ワシントンでは、国務省、商務省、FCC(連邦通信委員会)などの関係省庁の代表十数人と一堂に会して交渉した。皆が、「プロトコールが問題だ。完全に自由化しろ。」との一斉合奏であった。
     私は、「ITUの国際標準に従うのが世界の常識でありどこが悪い」と反論したが、相手はなかなか承知をしない。
     しかし、あるコーヒー・ブレイクの間に、仲良くなった国務省の代表が、こっそりと私に擦り寄ってきた。
     「ミスター・ウツミ。問題になっている『プロトコール』とは、一体なんのことですか?」
     これには、さすがの私も呆れてしまった。電気通信技術者の間で「プロトコール」とは、通信のやり方に関する技術的な約束ごと(技術標準)を指すが、外交用語では、「儀典」のことを意味する。したがって、国務省の役人には、まるで何の話か分からなかったらしい。ちなみに、通信機器が、ITUの世界標準に従うのは常識であり、もし別のものを使えば、お互いに通信ができなくなる。
     一番になって反対していた、このアメリカの代表は、中身が分からずに、ただ「完全自由化」と言っていただけのことである。この代表以外にも、アメリカ側で、本当に中身が分かっていた者は、ほとんどいなかったのではなかろうか。
     我々は、決裂のまま帰国したが、特別専用機で先回りして日本へ来たブッシュ大統領の特別顧問と米国通商代表部の幹部は、中曽根総理と直接交渉をし、日米両国は、アメリカ側の要求を全てのんで政治決着をしたのであった。
     それから、10数年後、日米欧が第三世代の携帯電話の国際標準化でしのぎを削っていた時、ITUの事務総局長に就任したばかりの私に、米国政府高官は、わざわざジュネーブまで飛んできて、「第三世代の携帯電話のプロトコールは、ITUで標準化しなければならない。日欧に働きかけろ。」と、まさに、10数年前、日本が米国に「ITU標準に従うべし」と主張していたこととまったく同じことを注文してきたのだ。
     郵政省から、私のサポートに来ていた小林課長は、かつてITUで第三世代の携帯電話の担当であったので、私にとっては、なにかと都合が良かった。
     「事務総局長、こんどブラジルで標準化を行っている研究会(スタディー・グループ)の作業部会が開催されます。これが予定されている調整のための最後の作業部会ですが、このままでは、特許の扱いについて米欧の企業間の話がこじれて世界標準の案がまとまりそうにありません。ITUの歴史の中で、未だかって作業部会レベルの会合に事務総局長が出席したことはありませんが、ひとつ出向いて発破をかけたらどうですかね」
     「本来は担当局長のジョーンズ電波局長がやるべきことだろう」
     「その通りですが、あのジョーンズが行きますかね?」
     この話を聞きつけた日本の郵政省の担当課長は、「どうせ話しがまとまらないところに事務総局長が出向くのは、いかがなものか。」と、反対の助言をよこした。
     第三世代の携帯電話は、単なる携帯電話ではなく、インターネットを含む全ての通信のために使う次世代の電気通信ネットワークであると考えられ、当時のITUでは、最大の課題であった。私は、そのような重要な案件が困難な状況にあるとき、事務局幹部も積極的に何らかのお手伝いをするべきだと考えた。
     また、第二世代の携帯電話が普及し、さらに増加する携帯電話の需要に応えるためには、第三世代用に割りふられている電波を使用せざるを得ない日本の特殊事情のためにも、早く標準化作業をまとめる必要があった。
     そこで、ジョーンズ局長に「ブラジルの会合に出席したらどうか」と話したが、「そんな所に自分が出る幕はない」と素っ気なかった。結局、慣行や日本政府の助言を無視して私があえて会合に出席し、日米欧が対立している標準化案の妥協をアピールすることにした。このブラジル行きが、事務総局長としてのはじめての海外出張であった。
     私が、ブラジル会合に出席するということを聞きつけたヨーロッパや米国の関係企業の担当役員たちが、それぞれの立場を説明しにジュネーブへ飛んできた。私は、こうして期せずして彼らの腹の中を聞くことができた。また、ブラジルの現地でも、関係企業や各国の利害関係を聞くことになった。
     幸いなことに、私の出席は、利害関係者たちに、「この際それぞれ妥協して話をまとめよう」という雰囲気作りに大いに貢献し、まとまらないと言われていたブラジル会議で話がまとまったのだった。
     ある技術を、話合いで世界標準として決定し、普及させるためには、誰でもがその技術を使用できなければならないから、特許の公開が前提になる。もちろん有料である。技術を開発した企業は、その技術をできるだけ高く有料公開し、話合いによる標準化によって利益を得る道を選ぶか、あるいは、技術を独占して、自らの力で世界に普及させて利益を得る道を選ぶか、大きなビジネス戦略の判断を迫られる。
     標準化の議論をしているブラジル会合は、いわば表舞台での出来事であった。その裏では、米国提案の方式のみならず日欧が提案した方式の基本特許を多く持っていた米国のカルコム社と、エリクソン社を始めとする欧州企業との間で、特許公開の裏交渉が行われていた。すなわち、誰が誰にどれだけ開発技術の使用料を支払うかという交渉である。
     そして、一言で言えば、カルコム社の技術を欧州企業が買うという裏舞台の特許交渉の妥結によって、表裏一体となって行われていた表舞台の標準化交渉の合意も、このブラジルにおいて成立したのであった。米国高官の私に対する圧力は、当然、カルコム社の利益をサポートするためにあったのであった。
     このようにして何十兆円ものビジネスが想定された第三世代携帯電話の日米欧の駆け引きのまっ只中に身をおくことになり、世界企業のビジネス戦略や交渉力について、日本のほとんどの人が理解できてない事実を目の当たりに見ることがきたのだった。」
    エリクソンとドコモの違い
     このような背景のブラジル会合でとても感心したことがある。それはエリクソンの宣伝活動であった。
     北半球ではまだ冬の3月だったが、南半球で、かつ赤道に近いフォートレザは真夏の太陽がビーチを照り付けていた。とても背広などは来ておれない。困ったなと思っている矢先、エリクソンは会議参加者に大きくエリクソンと書かれたTシャツを配ったのである。全員が、これ幸いと喜んでそのTシャツを着て会議に出席した。厳しい各国間の駆け引きの場が、まるでエリクソンの社内会議のような雰囲気になった。
     このことがエリクソンに有利に働いたかどうかは判定のしようがない。しかし、日本からの出席したドコモの存在感は薄かった。人は一般的に、美しい顔や理知的な顔の人、また体格の大きい人、声の大きい人、堂々と話す人などの意見を聞きがちである。エリクソンのTシャツ戦略による会場の雰囲気作りは、エリクソンにとって決してマイナスに働いたとは思えない。
     フォートレザでは、私はドコモの幹部から会食に招待され、ごちそうになった。多分、ドコモは、交渉相手にも同様に会食で接待し、少しでも有利になるよう努力したに違いない。日本では豪華な酒食で饗応することにより交渉を少しでも有利に進めることができると信じられ、企業は多額の交際費を準備するが、それは必ずしも国際的な定石ではないとつくづく思った。
    (次回は、国際的な会食の姿を予定)



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