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    アーカイブ 先人の知恵・他山の石 IT業界 2023/01/11 内海 善雄
    第8回飲食の知恵 January 11 2023
     古今東西、人間は飲食を共にすると特別に親しい間柄になれる。それは、人類が生存のため、共同生活をうまくできるようにと培ってきた本能ではないかと思う。そして、人種や地域ごとに様々な食文化が形成されている。グローバル化の進展で、その差異はだんだんと薄れてきているが、海外にはまだまだ日本人に参考になる飲食の取り方や習慣がある。
    ● コーヒータイム、ティータイム
     欧米には、午後の3時ごろ、コーヒータイム、あるいはティータイムと称して、一斉に休憩を取り、食堂などに集まってコーヒーを飲む慣習のある職場が多い。
     ITUでは、このような定めはなかったが、職員たちは好き勝手に食堂に集まってきて、油を売っていた。それを誰も咎めることはしなかった。私の秘書も、その時間帯に煙草を吸いに行って、様々なうわさ話や情報を仕入れてきて教えてくれた。事実上コーヒータイムが存在したのであった。
     UPU(国際郵便連合)では、公式の慣習があり、その時間帯には全員が食堂に集まるしきたりらしい。ある日本人職員は、皆が個室で働いているため、このコーヒータイム以外の時間に仲間の職員と話しをしたことがないとまで言っていた。
     若い女性の仕事がお茶くみだといわれた日本の事務系の職場では、どんな時にも平気でお茶やコーヒーを飲み、仲間と無駄話をするのが一般的である。したがって、ことさらコーヒータイムを設ける必要性はないが、職場でお茶を飲むのが一般的ではない欧米の職場では、一息入れる大事な時間である。と同時に、職員同士が情報交換をする重要な機会を提供している。
     職場での雑談やお茶が一般的な日本の場合も、誰とでも可能というわけではなく、ごく近くの席の人とだけである。また、工場などでは、お茶を飲むこともむつかしく、ましてや無駄話などできない。
     働くときはちゃんと働き、休息をとるときは公に休息をとる、そして広く仲間との情報交換も行うというけじめがついた欧米の職場と、だらだらと皆でなんとなく仕事をし、雑談をしてけじめがないが、チームワークは取りやすい日本の職場と、どちらが良いとは一概に決められないが、世の中一般がドライになってきている昨今、欧米の風習は多いに参考になるのではないだろうか。
     日本の工場などブルーカラーの職場の生産性は高いが、ホワイトカラーの職場の生産性は欧米に比較して非常に低いといわれている。その大きな理由は、個室で一人一人が明確な責務をもって仕事をする欧米に比べ、誰に責任や権限があるのか不明確な集団が大部屋で仕事をする日本の仕事のやり方にあるだろう。ホワイトカラーの生産性を国際標準にまで高める第一ステップは、案外、コーヒータイムを設定し、お茶を飲む時間を決めることから始まるのかも知れない。なぜなら、働く時には働く、休むべき時には休むというメリハリのある働き方で、労働時間内における生産性が高まるだろうし、そのような規律が職場に浸透すれば、おのずから個々人の仕事の範囲も明確になって、多人数で無駄なことをダラダラとやらないようになるのではないか。
    ● 役所の乞食パーティー
     大学を卒業して東芝に入社し、日比谷公園に面した日比谷電電ビルにあった本社で1年間勤務した。ビルの大半は電電公社の本部が入居しており、その上層部3層を東芝が借りていた。電電公社の食堂を利用できたが、そこでは腕に黒い袖カバーを付け、つっかけを履いた公社の職員に会った。東芝の職員のようにワイシャツにネクタイをして革靴を履いたすっきりした雰囲気の人はあまりいなかった。自分は窮屈なので職場でネクタイを外したら、上司に叱られた。そんな東芝の者から見ると公社の人たちは、田舎臭いだらしない小役人に見えた。
     その後、東芝を辞し、郵政省に転職して驚いたのは、課長も開襟シャツでネクタイをしてないし、つっかけを履いていた。配属された郵務局輸送課では、夕方になると私の仕事は、席の後ろにあったガスのバーナーに鍋をかけて天つゆを作ることであった。先輩が近くの店で買ってきたてんぷらを肴に一升瓶を開けて酒盛りが始まる。課長を中心に皆でワイワイガヤガヤ、話題はたいてい仕事の自慢話や世相の批判であった。この酒盛りで、上司たちの個性はもとより、仕事の課題や秘訣などが分かった。
     その後、海外出張の多い電気監理官室という電電公社を監督している職場に移ったが、一升瓶が洋酒に変わり、てんぷらは、チョコレートやチーズに変わったが、やはり同じような飲酒パーティーが5時過ぎから始まった。
     郵政省を卒業する頃には回数が激減していたものの、何かの折に、同じような職場での飲酒があった。しかし、つっかけを履く者は、さすがに皆無となっていた。
     多くの民間一流企業では、職場で酒を飲むということなど、言語道断のことだろう。昭和50年ごろ、「小集団管理」という人事管理の手法がブームになったことがあるが、何のことはない、役所では長年、「乞食パーティー」と卑下して呼んでいた自然発生的なコミュニケーションを、人事部の指揮のもと「小集団管理」という名でスマートに行おうとしたものにすぎない。
     この役所の乞食パーティーの習慣も世の中の近代化につれて自粛され(すたれ)、職場内のコミュニケーションが悪くなって一体感が薄れてしまった。個々人の責任が明確でなく、あいまいな集団で仕事をする仕組みの日本社会では、上司や仲間とのこのような場がなくなると、組織への帰属意識も薄れ、天下国家を悲憤慷慨する機会もなくなる。また、相互牽制する機能も失われる。それが霞が関の士気の低下や、横行する不祥事にもつながっているように思えてならない。
    ● カクテル・パーティー
     一人一人の責務が明確に規定されていて、アシスタント(秘書)に補助的な仕事をやってもらう以外は個人単位で仕事をする欧米社会では、そもそも職場の友との付き合いも少ないし、ましてや職場で飲むなどという習慣がないと想像しがちである。しかし、必ずしもその認識は正しくはない。案外彼らも機会をとらえて会食や飲み会を行う。その一つに「カクテル」というものがある。
     大きな辞書にも「カクテル」という言葉には、カクテル・パーティーを意味する定義がないが、外交官たちは、カクテル・パーティーのことをカクテルと呼ぶようである。そして、彼らにとっては重要な社交の場、すなわち仕事なのである。カクテルとは、夕食前の一時、種々のお酒とごく簡単なつまみとで、ワイワイ、ガヤガヤ飲む集まりのことである。
     ITU内でも、「子供が生まれた」、「出張から無事帰ってきたので」、「大きな会議が終了した」などと、ことあるごとにインフォーマルな形で、主としてレストランの片隅で、場合によっては会議室などで仲間が集まっていた。1時間もすれば自然と解散になる。ITUでは、「〇〇パーティー」とか、「ギャザリング」などと呼ばれていたように思うが、内容はカクテルと同じである。仲間同士の社交の場であり、楽しむためのものであるが、これに参加することによって、仕事がよりスムーズに運ばれるようになる場合も多い。
     カクテルは、役人たちが行っていた乞食パーティーと実質的には同じものだと思うが、①開催される場所が、仕事をする職場そのものではなく、職場のレストランや会議室など、特定のより適切な場所であること ②簡単なインビテーション(通知)があり、集まる者が、特定の職場よりはやや広範囲であること ③立食であること等、少し洗練されていると思う。
     日本では、「忘年会」や「新年会」あるいは「打ち上げ」など、やや重たい飲み会がよく開かれる。管理職など年配者は、喜んでか、あるいは義務感からか、当然のこととして参加するが、若い層は敬遠しがちのようである。
     名称はともあれ、カクテルのように気楽に参加できる集まりが開催されると職場のコミュニケーションもスムーズになるだろう。よく聞く「女子会」などは、そんな場なのかもしれない。会社などでも、この種の集まりに場所の提供などの便宜を与え、もう少し奨励してもよいのではないだろうか。
    ● 宴食、会食
     ビジネスや外交において、極めて重要な役割を担う会食や宴食も、欧米と日本ではその考え方ややり方が異なる。その差異を認識すると、食事を共にするこれらの場をより有効に活用できると思う。
     日本食の場合、大きく分けて①大広間で行う大宴会、②座敷で行う宴会や饗応、③狭い部屋で少人数の密談と三通りの方法がある。映画では①の場では、〇〇株式会社宴会部長が大活躍をする。②の場所では、上座に座った代官や幕閣に御用商人が這いつくばって接待する。③の場では、ひそひそと取引や企みが練られる。
     西洋式の会食の場合は、大きく分けると、①宮殿やホテルの大宴会場で行われるレセプション ②食堂で行われるディナー ③レストランのテーブルでの少人数の食事 ということであろうか。映画では、①の場合、シーザーの凱旋の宴のようなものから、貴族や金持ちが開催するパーティー、さらには日本でもよく開かれる企業が開催する一般的なレセプションなど、様々なものがある。②の場合は、もっぱら貴族の会食の場がイメージされる。③は、男女の逢瀬である。
     それぞれ目的が異なる会食なので一概に比較はできないが、国内外でビジネスに関連して頻繁に開催される中規模の会食である②の場合を比較してみよう。
     日本式の場合、座敷には必ず床の間があり、客は床の間を背にした上座、接待する側は下座に座る。接待側は、美食と巧言、場合によっては美女を侍らせ、歌舞音曲をもって客をもてなし、饗応するのである。ポイントはいかに客が気持ちよく満足するかにかかっている。夫婦同伴ということはまずない。もっぱら仕事上の会食である。商人が役人を接待するという場から発展した会食形式と考えればわかりやすい。
     一方、西洋式の場合、ホストは大きなテーブルの中心に座り、厳格な席次のルールに従ってホスト側とゲスト側は入り交ざって座る。ホストは客に美食を提供して持てなすわけだが、日本のように這いつくばって機嫌を取るということはなく、もっぱら会話がしやすいような座席配置で、ホストもゲストも対等に楽しく話が進むことに配意する。ホストの役割は、心地よい会話の場の提供であり、饗応ではない。仕事上の会食も多いが、夫婦同伴でお付き合いをする場合も多い。「饗応する」という英単語は存在せず、entertain with food and drink と説明しなければ、饗応するという感覚が西洋人には通じないことからも、彼らの会食の目的が想像できる。貴族同士の社交の場から発展した会食形式と考えればわかりやすい。
     このように両者には大きな違いがある。一言でいえば、和食の場は客を饗応する場、洋食はコミュニケーションをする場なのだ。したがって、客が洋食を好むからという理由だけで洋式の会食をすると、会食の目的が接待である場合、それはかなわないことが起きる。そこで洋式でも客側を、窓側や暖炉側の上席と思われる側に一列に座らせ、向かい合って接待側も一列に座ってゴマをする和洋折衷の体制を作らねばならなくなる。また、ワインは、がぶ飲みするものではなく、食事の味を引き立てるため食事をとる者が自ら適量を飲むものだと思うが、このような場では、接待側が客にワインをどんどん勧めて客を酩酊(悪酔い)に追い込むようなことが起きる。
     もちろん饗応により相手を心地よくさせて交渉を成功させることも重要であるが、このような植民地的な手法は、現代では国際スタンダードではない。国際スタンダードの会食の場はウイットや教養ある会話を通じて人格同士がぶつかり合い、互いに腹の中を探り、信頼できる間柄になること、すなわち互恵の関係になるための場である。そしてその後の話がスムーズに進むことにつなげる。
     上手に互恵関係を築くためには、このような会食の場で、まずは誰とでも楽しく話ができることが肝心だ。そのためには会話のネタや技術が大事になる。また、相手に立派な人物だと評価され、信頼されなければならない。そのためにエリートたちは、言葉の端々から教養の深さがにじみ出るよう、文学、芸術、歴史などを日頃から研鑽しているのである。相手を喜ばすために、ヒョットコ踊りやカラオケを練習する日本のビジネスマンとは大違いだ。
     このように洋の東西で、会食の目的は大きく異なり、その目的に沿ったように場が設えられている。日本では相手を喜ばすことが主目的になり、西欧では相手の信頼を得ることが主目的になって会食をするのである。
     東京オリンピック招致運動の中で「おもてなし」という言葉が流行り、日本のお家芸のように自慢げに喧伝される。確かに日本の「おもてなし」いっぱいの宴席を設けられて不満に思う者はいない。しかし、私には「おもてなし」?「饗応」?「過度な卑下と恭順」と連想され、腹立たしいい。特に相手が金満体質のIOC委員や政治家だと思うとなおさらである。外交の場でも、ビジネスの場でも、品格のある晩さん会が開催できる国民となって、初めて一流国といえるのではないだろうか。
     (次回は、携帯・スマホメーカーの興亡を予定)



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