一般社団法人メディア激動研究所
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    アーカイブ 先人の知恵・他山の石 IT業界 2023/10/23 内海 善雄
    第12回なぜ日本はIT分野で遅れるのか(3)October 23 2023
    ③過剰な完璧主義
     ディジタル化がうまく進まない三番目の理由としてあげられる「完璧を求めすぎる」ことにより、非効率になって経費が嵩さんだり、利用が困難になる例は、日本にはたくさんあると思う。前回、「目的意識の欠如」の例示として示したe-Taxの例は、まさに完璧を求めた典型的な例だ。国税庁はなぜ、住民基本台帳カード、後にはマイナンバーカードで個人認証を取ることに固執したのだろうか?
    e-Taxの個人認証
     銀行などの窓口での個人認証は、一般的には、運転免許証、マイナナンバーカード、パスポート、保険証など、公的な機関が発行した証明書の一つを見せることで行われる。また、電話で取引をする場合は、ID番号と住所や生年月日などを申し出ることで行われるのが一般的だ。
     同じことを、e-Tax で行おうとすれば、複数の認証方式をオプションとして提供しなければならず、システムはかなり複雑なものになるだろう。加えて、銀行などではすでに口座があることが前提になっているが、不特定多数の万人が対象の納税事務では、提供されるオプション、例えば免許証やパスポートを持てない人は多数いるから、限られたオプションだけでは個人認証ができないケースも発生する。誰でもが認証されうる最もたやすい方法は、誰でもが入手可能な住民基本台帳カード(後にマイナンバーカード)による認証となったに違いない。また、他のオプションを選ばさないことにより、納税者間の取扱が平等になる上に、システム構築も単純になる。したがって、システム設計者としては、最も合理的な方法を選んだと確信していただろう。
     ところが、利用者にとっては、一般生活では全く不要な住民基本台帳カードの取得や認証機関での認証、カード読み取り機の購入、ソフトの複雑さなど、負担が大きすぎて、e-Tax 利用をあきらめることになった。さらに、そもそも書面での確定申告には個人認証をやらないのに、なぜ、e-Tax では必要なのかという反発も招いた。
     問題は、個人認証が絶対的に必要なことだったのか、すなわち、どれだけ完璧性を求めるべきかという問題に帰着する。偽って他人の確定申告をする者や、誤って他人の確定申告をする例は、どれほどあるのだろうか? 
     偽って他人の確定申告をして還付金を窃取することは、考え得るが、その他の理由で他人の確定申告をするようなケースは、何の利益も得られないからあまり思いつかない。還付金を窃取する場合にも、振込銀行口座からすぐ足がつくから、このようなバカなことをする知能犯は考え難い。このように考えれば、確定申告の個人認証は、ほとんど無意味なことが分かる。だからこそ、書面による申告では、事実上、個人認証の手続きを取らないのだろうと推察する。e-Taxのサービス開始から10年間も、面倒な個人認証があるがために利用が進まなかったことは、真にバカらしい事象だったと言わざるを得ない。
     マイナンバーカードがかなり普及し、スマホでも簡単に個人認証ができるようになった現在では、事情は全く異なる。なぜなら、利用者の負担も軽減されたし、何よりもマイナンバーによる個人認証は、個人の所得を完全に掌握し、徴税率を上げるためには、国在庁にとっては大変意義のあることになるからである。
     さて、ディジタル化の遅れが、過剰な完璧性や正確性を追求したことに起因した例は、他にもたくさんあるに違いないが、システムの詳細が分からない部外者には判断が困難である。苦肉の策として、システム構築から少し離れて、日本社会の完璧主義から推測してみたい。
    バス運賃の支払い方法 
     ジュネーブでは、バスや市電に乗車する際、バス停に設置されている販売機で乗車券を購入して乗車するが、運転手は乗客が乗車券を持っているかどうかの確認を行わない。したがって、乗車券を持っていなくても目的地まで行ける。しかし、時々、検札をする人が乗車してきて、乗車券を持ってなければ、運賃の何十倍もの罰金を科す。高額の罰金を取られるリスクが高いので、乗車券を持たずに乗る者は稀である。かつて無賃乗車をしてばれたときに罰金を払うのと、正式に運賃を払うのとどちらが得か確率計算した例を見たこともある。
     運転手が車内で乗車券の発売や所持の確認をしないため、乗客の乗車に要する時間が短く、バスが停車する時間も短い。2両連結編成のバスには広い乗降口が4つもあるから、駅前の何十人もが一斉に乗り降りするバス停でも、あっという間に乗降は終わる。運転手も運転に神経を集中できる。
     一方、日本では、すべてのバスに複雑な乗車券販売機(運賃計)が設置され、乗客は乗車してから購入(支払)する。そのため乗車にも時間がかかり、運転手も乗車券購入の補助や、乗車券や定期券の確認をしなければならない。バスもなかなか発車できず、後続車の渋滞が起きる。
     両システムを経験した者には、ジュネーブの方がよほど利便性、運転手の負担、交通渋滞緩和、安全性、トータル・コストなど、どの点を取っても合理的に思える。事業者が、正確な運賃収入が得られないリスクがあるという点だけが難点だが、検札の回数や、罰金の額で、場合によっては正確な運賃収入よりも多くの収入を得ているかもしれないのである。
     鉄道利用も、バスの場合と酷似している。欧州では、誰でも駅のホームに入れて、どの列車にも自由に乗れる。しかし検札がある。一方、日本では、乗車券を持っていなければホームには入れない。そして、検札もある。
     少しの取りはぐれがあろうとも、効率的な運行が優先というジュネーブ、絶対に正確な運賃を徴収しなければ乗せないという考えの日本、彼我の違いは大きい。
    横浜市の敬老特別乗車証
     ところで、横浜市では、収入に応じて一定の額を収めると老人用のパスが発行され、自由に横浜市のバスに乗れる「敬老特別乗車証」がある。昨年より、乗車状況の把握のために、多額の経費をかけて完璧性を追求する措置が取られた。今までの紙の乗車証をICカードに変更し、特別な読み取り装置を全バスに設置して、乗客にタッチさせることにより、いつ、どの経路を何人乗車したか把握することにしたのである。
     従来、市営バスや民間事業者など、事業者間の敬老特別乗車証発売収入と補助金の配分は、路線数やバス運行数などで、案分していたそうである。赤字で、制度の在り方が議論されはじめたらしいが、そもそも、事業者間で正確な費用の把握ができてないということによる処置だそうだ。赤字だと言いながらも、カードの発行や装置の設置、更にその集計に莫大な経費を要しただろう。
     そこまでして路線ごとの乗車数を把握する必要があるのだろうか。特定の調査日を設けて乗車人数をカウントするサンプル調査ではだめなのか。更に、バスに設置されているスイカのためのICカード読み取り装置を活用することは考えなかったのか等、疑問が残る。このようなICカードとコンピュータ化による正確なデータの把握システムの構築を、ディジタル化が進んだと喜ぶべきものなのか?
    光熱費の計測
     光熱費の計測についても、日本とジュネーブとは大いに異なる。ジュネーブでは、電気も水道も半年に一回しか計測しない。
     日本では、電気料金に関しては、数年前に全国一斉にスマート・メーターを設置して、人力による計測がなくなった。従来は、積算電力計で各戸別に計測され、それを毎月、検針員がやってきて計測していた。また、配電の調整は、広域で使用量が把握され、使用量に見合う電力が供給され、電圧の維持が行われる。一方、スマート・メーターは、各戸ごとに、リアルタイムに、かつ、遠隔で電力使用量を把握できる。したがって、検針員も不要だし、狭い地域での電力供給調整も可能、契約電力会社も好きな時に変更できることになる。競争市場に、完璧に対応できる真に高機能な装置である。
     しかし、高額である。電力利用者にとっては、従来の積算電力計でもなんの不便もなかった。まだ使える積算電力計を廃棄して、全国一斉にスマート・メーターに変換する必要性は、人件費の削減以外にはほとんどないと思う。電力自由化のために必要だとの説明だったが、必需品ではない。はたして人件費の節減がスマート・メーターの設置費用を上回っているのだろうか?
     一方、東京ガスでは、ガス・メーターの耐用期間が来て更改する際に、地域ごとに通信方式や無線方式のガス・メーターに変更して、遠隔検針ができるようにして検針員の削減を図ってきている。このような方式の方が、より経済原理にかなった合理的なディジタル化だと思えるが電力会社の言い分を聞きたいものだ。
    長距離通話の料金回収方法
     50年以上も前の話で、はなはだ恐縮だが、分り易い例なので挙げさせていただきたい。
     かつて米国シカゴ大に留学していた時であるが、遊びに来ていた友人が我が家の電話から長距離電話を掛けたいという。貧乏留学生にとっては高価だった長距離電話料金を払わなければならないことは辛い話だったが断るわけにもいかなかった。ところが友人は、オペレータに相手先の電話番号と、友人本人の電話番号を伝えて、料金は自分の電話にチャージするよう指示した。オペレータは、本人の電話番号であるかどうかの確認も取らずに、相手先を呼び出した。
    米国の電話会社(イリノイベル)は、必ずや徴収不可能なケースが出てくるに違いないが、わずかな徴収不可能を避けるよりも、ユーザーの利便性や長距離電話の売り上げ増を選んで、このようなサービスをしていたのである。
     絶対に料金徴収ができるような使用方法しか認めない日本社会と、リスクを計算に入れたうえで柔軟な使い方を許容する米国社会の大きさを思い知った事例であった。まだ、コンピュータが使用されていない時代だったが、イリノイベルが重視したユーザーの利便性の向上や売り上げ増は、今日的に言えば、まさにディジタル化が目標としているところである。
    この日米の行動様式の違いを、今日のディジタル化という眼鏡で見ると、すなわち、電話料金徴収のディジタル化システムとしてその姿を見ると、失敗や誤りが起きる可能性を極端に排除しようとする硬直的な日本のディジタル化システムと、ユーザーの利便性や売り上げ増を重視する柔軟な米国システムは、一方はディジタル化が遅れているように見え、他方はディジタル化が進んでいるように見えるのではなかろうか。
    自動翻訳電話開発の発想
     AIが発達して自動翻訳が当たり前になった今日、自動翻訳電話の実現を疑う者はいないだろう。私は、1984年、電電公社の民営化に際して、国が保有する株式の膨大な売却益の一部を自動翻訳電話の開発に回せるよう奔走したことがある。
     当時、機械翻訳の研究を行なっていた京大の長尾真教授(後に京大総長)にお聞きすると、「完全なものはできないかも知れないが、繰り返して話す、あるいは違う言葉を使ってみるなどすれば、翻訳ができる。そうすれば、大変便利になる」とおおいに励まされた。
    ところが、お世話になっていた郵政省の電気通信審議会の委員である文化勲章も受賞した著名な東大教授に、「自動翻訳電話の開発は不可能なことが証明されている」と反対された。「研究開発予算の獲得のためだから、審議会では反対だけはしないでください」と懇願したが、「不可能なことが分かっているものを国が行うのは駄目だ」と審議会で発言され、往生した。
    もし、この著名な学者のように「完全なものしか追求してはならない」という考えに従っていれば、獲得した予算で設立した関西にある情報通信技術の研究開発拠点である株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)も存在しなっかったし、日本のAI技術の発展もなかったに違いない。
    40年前の当時のことを振り返って、つくづく思うことは、当時の権威ある学者の発想と同じような完璧主義が、今日、世の中に支配的な常識となり、長尾教授のような発想は稀になってしまっていることである。特にディジタル化の世界では、皆無でなないだろうか。
    ワクチン接種予約システム
     コロナ対策に各国がITを駆使していたのに対して、日本はまったく手を打てなかったばかりか、ワクチン接種の予約に至っては、あまりにも完璧性を追求した挙句に、システムがパンクして大混乱を招く結果になった。ワクチン接種の方法は、各自治体で多少取り扱い方法が異なるが、概ね次のようなやり方であった。
     ①自治体より接種券を各人に、毎回、送付する
     ②接種会場が発表される
     ③定められた日から、ネットまたは電話で予約がとれるようになる
     まず、第一に、接種券なるものを各人に送付する必要性が全く分からない。国民全員に送付されるのだから、健康保険証を使用することで十分ではないか。誰も複数回同じワクチンを打とうと思うものはいないだろうが、勘違いもありうる。その間違いを排除するためには第一回の接種時に、記録カードを交付すればよい。次回は、その記録カードの持参を義務付ければ、一目瞭然に各人の接種状況が分かる。毎回、接種券を発行して郵送する必要性は皆無である。
     第二に、一斉に予約を開始ししたため、システムがパンクし、大混乱に陥った。横浜市などは、何十時間、何日間も連続してアクセスを試みても繋がらない状況が続いた。そもそも予約という方法を採用したのは、都合の良い日時と場所を選ばせるという「暖かい」発想だろうが、そんな面倒なことを全住民に課することは、住民とっても、また、受け付ける側にも膨大な事務量が発生し、不可能に近いことである。案の定、システムがパンクして大混乱に陥った。
     地域ごとに接種日と会場を決めて通知するだけでよかったのではないか。定められた日に接種できなかった人のためには、予備日や共通会場など、バックアップ体制を用意すれば十分であったはずである。
     接種券の配布や個別予約など、大変な事務量と経費をかけて非の打ちどころのないような完璧な仕組みだと思われるシステムを構築しても、住民の心理が理解できてない。住民にとってやりやすい方法で、かつ事務が簡単で、経費も係らない方法という視点が、最初から欠落しているとしか言いようがない。行政側の無誤謬だけが、システム構築の中心になっている。長尾教授の「完全なものはできなくてもよい、便利なものができればよい」という発想がなく、某著名な東大教授のように「完全なものしか作ってはならない」という発想だったに違いない。 
     ディジタル化とは、「できるだけ簡単な仕組みにして、その作業をコンピュータにやらせること」だと思うが、日本では、「思いつく限りのケースを想定して完璧にコンピュータが処理すること」だと考えているから、なかなかディジタル化も進まないし、出来上がったシステムは、複雑すぎてとても使いづらい上に、実態にそぐわないことが多い。(続く)



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